k.onodera 2014年黒獅子ベストテン

今年も映画ベストテンの時期がやってまいりました。
2014年は、「トラック野郎」シリーズの鈴木則文監督と菅原文太という映画界の巨星が墜ちるという、個人的にも印象深い年となってしまいました(もちろんどちらも、他に多くの作品を残しておりますが)。
まあ他にもいろんなことがあったと思いますが、なんだか思い出せません。

ベストテンは、新しい表現に挑戦していること、技術が優れていること、総合的に完成度が高いという基準で選んでいます。
それでは順位の発表とコメントをどうぞ。

 


 
01. 『家族の灯り』 O GEBO E A SOMBRA/GEBO ET L’OMBRE
(ポルトガル-フランス映画 マノエル・ド・オリヴェイラ監督)

106歳になった巨匠、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の、ポルトガルの舞台作品を原作とした新作『家族の灯り』。
とにかく圧倒的に鮮烈かつ衝撃的で、これを観た直後は…

こんなツイートをしてしまうくらい打ちひしがれてしまいました。
もともと、オリヴェイラ監督の作品は、強烈で心を乱すようなラストシーンが多いですが、ここまで精神的にダメージを与えるのは2001年の『家路』以来じゃないかなと思います。

もちろん、ここで私が称えたいのは、C.イーストウッドの『ジャージー・ボーイズ』がそうであるように、「優れた戯曲を優れた映画作品に仕上げる」というような(もちろんそれも評価されるべきことですが)、通常の手続きを超えたところにあります。
フィックス(固定カメラ)での長回し一で構成された本作品は、一見、舞台作品を舞台風に撮りあげた、ある種の保守的な姿勢だと誤解されそうな表象を纏っています。
実際、「レンブラントの美しい絵画のようだ」という評価も得ていますが、オリヴェイラ監督が、ここに至ってそのような、額装された美を再現するようなことに拘泥してるわけはないと、私は思っています。もしそれが真実であれば、映画が絵画に従属しているということになります。
よく画面を注意すると分かるのですが、例えば家の中で卓上のランプなどをとらえたフレーミングでは、それら全体を収めるよう「絵画的美」を追ったような配置を、注意深く何度もはずしています。
むしろここでは、動かない画面で被写体が移動することが、絵画をおびやかす画面的充実を得ているように思えます。
変化の無い平板化された背景によって、極度に抽象化された画面は、「映画表現」への挑戦であり、その完成度はひとつの到達点であるといえます。

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抽象化された小道具から立ち現れる炎のような美しさも素晴らしく、思わず<彼らの>ファン・アートを描いてしまいました。

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また、出演者のクラウディア・カルディナーレやジャンヌ・モローなど高齢の役者を、ここまで愛らしく可愛らしい年下の女性として撮ることができるというのは、オリヴェイラ監督の特権であると思います。

同じように家族の不和とつながりを描いた作品として、アスガー・ファルハディ監督の『ある過去の行方』も今年日本で公開されましたが、オリヴェイラ監督は、人生の理解や映画へのよりアグレッシヴな姿勢という点で、別次元まで到達している感があります。

 


 
02. 『ニード・フォー・スピード』 Need for Speed
(アメリカ映画 スコット・ワウ監督)

これ、街を暴走する車を操作するヴィデオ・ゲームの映画化作品ですが、とにかく最高のカーアクション映画に仕上がっています。
CG全盛のアクションがはびこるハリウッド映画のなかで、これは本物の高級スポーツカーを使って、それらを本当にぶっつけて撮っています。これでこそ「映画化」の意味があります。
そして、ぶっつけ合いながらどこまでも止まらず疾走してゆく。現代の『駅馬車』とか『ベン・ハー』、いや、『トラック野郎』でしょう、これは!
そして、女優イモージェン・プーツの顔を大写しにし、彼女の魅力を最大限に引き出すことで、スクリーンが光り輝きます。
冒頭など、違和感のある編集が気になるが、これこそが映画。スクリーンで観なかった映画ファンには、「ご愁傷様です」と言っておきます。

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03. 『ビフォア・ミッドナイト』 Before Midnight
(アメリカ映画 リチャード・リンクレイター監督)

「ビフォア」シリーズは、リチャード・リンクレイター監督、主演のジュリー・デルピー・イーサン・ホークの3人による、そのときの個人的記録でもあるように感じられます。三人が話し合いながら、ドキュメンタリー風の会話で紡がれる脚本を作っていくというプロセスを経ているからです。

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私はこの前作『ビフォア・サンセット』を、名だたるクラシック作品と並べ「オールタイム・ベスト」の上位にランクインさせているのには理由があります。
先ほど映画と絵画について触れましたが、この二つに決定的な差異があるとすれば、「映画では時間が表現できる」ということだと思います。つまり、映画の本質に近づいていくと「時間とは何か」という概念に突き当たるわけです。
R.リンクレイター監督の実験アニメーション作品『ウェイキング・ライフ』における「聖なる瞬間」の議論を反芻すると分かりやすいのですが、『ビフォア・サンセット』は、時間の概念を使うことによって見事に意識的に、「映画」の本質に到達し得たのだと感じています。
つまり「ビフォア」シリーズは、恋愛映画というより、濃密に「映画そのもの」なのです。
このあたりの詳しい話は改めてするとして、『ビフォア・サンセット』ほどの映画表現的な達成はないものの、本作『ビフォア・ミッドナイト』も、時間という概念を利用した、極めて美しいラストへ観客を誘ってくれます。

 


 
04. 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 The Wolf of Wall Street
(アメリカ映画 マーティン・スコセッシ監督)

『グッドフェローズ』の語り口で、とうとうスコセッシとディカプリオのコンビが場外ホームランを打ってくれました。ここまで本当に長かった…。
とにかくディカプリオのオーヴァードーズ演技が素晴らしく面白過ぎて、もうそこだけ何度でも見たいです。レオナルド・ディカプリオのキャリアのなかでも、おそらく人生一度きりの会心の役でしょう。

 


 
05. 『オンリー・ゴッド』 Only God Forgives
(フランス-デンマーク映画 ニコラス・ウィンディング・レフン)

『ドライヴ』をはるかに超えた洗練と抽象化による、コンセプチュアルな作品。
このような極度に象徴主義的な作品が、大規模公開されたという事実が面白すぎます。
もうこんなこと、次は無いのかもしれませんが、個人的には、このような表現手法が映画のスタンダードになって欲しいと思っています。

今年公開された、ジョナサン・グレイザー監督の『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』も、反復表現を利用した、抽象的でコンセプチュアルな作品でした。これも非常に面白かったのですが、ミュージック・ヴィデオ的な陶酔に多く頼ってしまっているところがあり、より醒めている『オンリー・ゴッド』が上であると結論づけます。

ジョナサン・グレイザーといえば、ドニ・ラヴァンを使ったチョコバーのCMがとても面白かったです。
ニジンスキーの「牧神の午後」と、ケネス・アンガーの『人造の水』をミックスしたようなイメージなのかな?

Flake – Jonathan Glazer from David Nichols on Vimeo.

 


 
06. 『RUSH/プライドと友情』 Rush
(アメリカ-イギリス映画 ロン・ハワード監督)

実在のF1レーサー、ジェームス・ハントとニキ・ラウダの対決を描いていますが、その対決は次第に深まり、レース哲学・人生哲学の戦いになっていきます。
望遠のダイナミックなレースの撮影を、軽快なリズムで豪快につないでいく映像体験は愉悦そのものですが、同時に文学的価値も高い傑作です。

 


 
07. 『インターステラー』  Interstellar
(アメリカ-イギリス映画 クリストファー・ノーラン監督)

この作品に関しては、本サイト記事「『インターステラー』視覚化せよ!ブレーンワールド」http://k-onodera.net/?p=1584)でたっぷり解説していますので、是非そちらをご覧ください。
現代の宇宙物理学に挑んだ意欲的な作品です。
 


 
08. 『GODZILLA ゴジラ』 Godzilla
(アメリカ映画 ギャレス・エドワーズ監督)

この作品に関しては、本サイト記事「『GODZILLA ゴジラ』再定義される「怪獣」」http://k-onodera.net/?p=1440)でたっぷり解説していますので、是非そちらをご覧ください。
「幽玄」ともいえる、ゴジラの美的表現に特化し、映画全体がストイックな姿勢で作られているところが素晴らしいです。

 


 
09. 『リヴァイアサン』 Leviathan
(アメリカ-フランス-イギリス映画 ルーシャン・キャステーヌ=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル監督)

これはもう1位でもいいくらいすごいのですが、比較的製作の難度が低いことから、この順位としました。
何故これが素晴らしいかというと、日頃から私が撮ってみたいと思っていた理想的な映画の構想に非常に近く、映画表現を改革し得る試みが見られるからです。
超小型カメラGoProを、漁船の網や死んだ魚、漁師などに取り付けるという撮影方法なのですが、最も心動かされたのが、波の動きによって水中と空中を激しく往還するという映像で、これが、「撮影者がいないカメラワーク」になっているということです。

我々が映画の中でCG合成を見たときに、無意識的になんとなくガッカリしているというのは、もともとの被写体に、人工的に魅力を付け加えているという点が大きいと思います。これはつまり、もともとの被写体に存在する「映像的強度」の低さに由来するものではないでしょうか。
であれば、前述の『家族の灯り』にもつながってきますが、カメラワークやモンタージュなどの技術自体も、人工的な魅力の付け加えであり、映像の強度を損なう原因であるわけです。(※映像の「強度」につきましては今後別の機会に詳述します)
ですから、波の力(月の引力が地球に与える力)に規定されたカメラの動きというのは、撮影者の意思を介さない、より純粋な視線に近いカメラワークであり、強度を極力失わずに保持することが可能になってくるということになります。私の言ってることがお分かりでしょうか。
とにかく、言葉を失わせるくらいの映像で、何度でも何度でも繰り返し体験しなおしたいと思います。

 


 
10. 『大統領の執事の涙』 Lee Daniels’ The Butler
(アメリカ映画 リー・ダニエルズ監督)

歴代大統領の元で働き続けた黒人執事の半生を描いた作品ですが、この設定を聞くと、『ドライビング Miss デイジー』のような、ハート・ウォーミングな人種間の相互理解みたいなものを想像してしまいますが、あのリー・ダニエルズ監督が、そんなものを撮るわけないでしょう!
フォレスト・ウィテカーが演じる執事は、白人に対して、あくまで表面的な理解やへつらいはあろうとも、絶対に越えられない心の壁を持っています。それは、少年時代に経験した白人からの仕打ちに由来するわけですが、その壁があるからこそ、彼は逆に白人の下で働き、「分をわきまえた態度」を適切にとれるわけです。ですが、それは悲しいことでもあります。
そして、その心の壁を、「映画的解決」で氷解させようとなど、決してしない。これが素晴らしい。
その息子が活動家になるというのは、息子の方はまだ白人にかすかに期待をしている、世の中を変えられるかもしれないと希望を持っているわけで、その親子の相互理解に向け物語のダイナミズムを醸成するという慎ましさ、思慮深さに、逆にリー・ダニエルズ監督の挑戦的精神が垣間見えます。

 


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