『ミッション:8ミニッツ』 シュレーディンガーの猫とクラウド・ゲートの謎を追う

『ミッション:8ミニッツ』は、非常に入り組んだ設定が用意されたストーリーで、一回観ただけではその全貌がよく分からず、ともすれば大きな矛盾を感じるかもしれない。
私も当初、日本の配給会社による宣伝文句、「映画通ほどダマされる」という意味がよく分からなかったのだが、この映画に何回か登場した「量子力学」について興味を持ち、そのサワリを調べることによって、なんとかストーリーの全貌が把握できたように思う。
これを読んでいる方は、ちょっと面倒とは思うけれど、そのあたりについて、かなり入り組んだ説明をするために、まず作品の筋と設定をおさらいするところからつきあっていただきたいと思う。

米軍の任務として、アフガンで戦闘ヘリを操縦していたコルターは、気がつくと見知らぬ列車に乗っていた。
自分の置かれている状況を確認しようと、周囲の人間に話しかけてみる。どうも今乗っているのは、もうすぐシカゴに着く予定の、走行中の列車であるらしい。
向かいに座っている、自分を知っているそぶりを見せる、しかしこちら側は見知っていない女は、自分のことを「ショーン」と呼んだ。
混乱したコルターが列車内の洗面所に行き、鏡に映った自分の顔を見て驚愕する。自分の顔ではない。
その直後、列車は轟音とともに爆炎に包まれ、コルターを飲み込んだ。
ここまで8分間の出来事。

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再び目覚めたコルター。今度は本来の姿に戻っていたが、同時に謎のカプセルの中に閉じ込められていることにも気づく。
「これは包囲された城です」と声が聞こえる。モニターに映る女性。制服を着ているところを見ると、公的機関の職員のようだ。
「コルター、分かりますか?今から言うトランプの札を順番に並べてください」
コルターが答を言うと、女性は彼が正気であることを確認したのだろう、「爆弾と犯人を見つけ出せ」と命令する。

また先ほどと同じ列車、同じ時間、同じ状況の中で目覚めるコルター。
彼は、この8分の間に、爆弾魔の手がかりを発見し、これから起きるであろう、予告されたシカゴ大規模爆破テロ事件捜査の手がかりをつかむ任務を課されていたのだ。
解決するまで何度も爆死し、何度も同じ時点、同じ地点に戻されるコルター。
その間に、徐々に現在の状況についての隠された情報が明らかになっていく。

コルターのミッションは、新しく開発された「ソース・コード」なる機械によって実現される世界が可能にするものである。
実験施設の女性職員の上司である博士の説明によると、それは量子力学を基にした研究から生まれたプログラムで、死者の脳に残されている8分間の記憶と、被験者の脳の回路をつなぎ、それらを「重ね合わせる」ことで、被験者に、死者の最期の8分間を体験させることができるというものらしい。
これが画期的なのは、被験者はただ対象の記憶そのままを体験するのではなく、被験者独自の行動が可能だということである。
つまり、ここには8分限定の「別の世界」が生まれていることになる。
今回のケースでは、多くの乗客とともに爆死した被害者ショーンの記憶に、コルターの意識が重なられていたのだ。
コルターはミッションの中で、一度クリスティーナ(自分のことをショーンと呼んだ女性)を列車から降ろし、爆発から彼女を助けている。
しかし、博士はそれを「意味のないことだ」と言う。なぜならソース・コード内で人を死から救ったとしても、それはあくまで、この現実には関わらないことなのだと説明する。事実、コルターが目覚めた「現実」では、救ったはずの彼女は死亡している。
博士いわく、「ソース・コードはタイム・トラベルではない」のである。

また、コルターはついに、自分がアフガンで負傷し、現在、植物状態で研究室の延命装置の中にいるという衝撃的事実を発見することになる。
謎のカプセルや健康に感じる自分の体は、自分が頭の中に作り出したイメージに過ぎず、彼はただ意識だけで、外界やショーンの記憶世界とつながっていたのだ。これはコルター本人にとっては絶望的状況である。
コルターはそれを知ることで、ショーンとしての死ではなく、自分自身の本当の死を望むのだが、博士はそれを許さず、ミッションを完了した報酬として死を与えると約束する。

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かくして、さらに数度、試行錯誤の捜査を繰り返した結果、彼は爆弾魔の身元を突き止めることに成功し、現実世界のシカゴの住民が救われることで、ミッションは終わることになる。
ここでコルターは意外な提案をする。「もう一度列車に戻って乗客を救いたい」…そして女性職員に、「8分経ったら延命装置をオフにしてくれ」と個人的に頼みこむ。
彼は、ヴァーチャル・リアリティの中でハッピー・エンドを迎えた瞬間に自殺することを望んでいるのだろうか?
列車に再び戻ったコルターは、今までの記憶を駆使し、鮮やかに犯人を捕縛し、爆弾を停止させ、乗客全員を救うことを初めて成功させる。
8分が経つとき、彼はクリスティーナとキスをしていた。そこで、現実世界では延命装置が切られる。8分が経過し、全ての時間が止まる。

…と思いきや、気がつくと彼の腕時計は8分後もその時を刻んでいる。彼の意識はショーンの記憶8分間を超えたのだ。一体何が起こったのか。
現実と変わらぬシカゴの町並み。コルターは街のシンボルである、広場に置かれている鏡面の巨大な楕円形のオブジェクト、「クラウド・ゲート」の前でクリスティーナと佇んでいた…。
「クラウド・ゲート」は、彼がショーンとして爆死する瞬間、意識のなかで何度も浮かんでいた幻影であった。
「ここは僕達が望んだ世界なんだ、そう思わないかい?」
鏡面はクリスティーナと、ショーンの姿、そしてシカゴの街を包み込むように映している。

ここまでが、『ミッション:8ミニッツ』の、当初の脚本までのおおまかな内容である。
本編ではもうちょっと続きがあるのだが、説明が複雑になるため、とりあえず、ここまでの内容について解説をするために、量子力学について、すごくかいつまんで説明したいと思う。ここも我慢して、よく知らない方は理解していただきたい。

量子力学とは、物理化学の領域から、この世界はどうなっているかを探求していくアプローチのひとつであり、世界を最小単位から見直すという試みである。これは、本来それを必要としている物理化学分野以外にも、今日の数学、哲学の世界にまで影響を与えている概念である。

私達自身、また私達のまわりに存在する物体(気体・固体・液体)は、電子顕微鏡で拡大して見ると、分子の組み合わせであり、分子は原子の組み合わせで出来ていることが分かっている。
原子をさらに拡大すると、電子と原子核(陽子と中性子)によって構成されていることが分かっている。

最小単位の物質を素粒子というが、これら原子を構成し、その原子をその原子たらしめる確定要素は、それらの組み合わせに過ぎない。
例えば、目の前にあるトマトスープもダイヤモンドも、本質的には(最小単位として見た場合)、同じ材料(電子、陽子、中性子)の組み合わせが、そのかたちを作っているということ。
つまり、目の前の物体は、これらシンプルな材料による「状態」の結果であるということなのである。
ミクロの量子的な世界観をごく簡略的に言うと、このような感じである。

電子は原子核の周りに確かに存在していて、それは太陽と、そのまわりを回る惑星のような関係である。
しかし実験で電子の位置、それからそれがスピンしている方向を観測すると、その結果はまちまちであり、予測不能な結果を表すことが分かった。
1900年代、このような結果を基に、量子力学の確立者、ニールス・ボーアは「それらはもともと不確定なものである」という、「コペンハーゲン解釈」を提唱した。
その考えでは、電子は原子核の周囲のどこにでも、まるで幽霊のように存在し得る状態であり、それが上向きにスピンしているか、下向きにスピンしているかも、その現象が重なった状態であるとし、それらは観測を行ったときにはじめて、一点に収束し、その結果が観測できる、というものである。
「コペンハーゲン解釈」は、宇宙も、量子の世界も包み込める、統一された物理的でシンプルな法則が存在する…というアインシュタインの考えと衝突し、論争を生んだ。

物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、自身が量子力学の成立に尽力してきた一人であったが、このようなコペンハーゲン派(コペンハーゲン解釈を唱える研究者)の概念を、荒唐無稽なものであると批判した。
その矛盾を指摘するためにシュレーディンガーは、マクロ世界にその考えを表現したらどうなるか、「シュレーディンガーの猫」という思考実験を発表することになるのである。

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まず、外からでは中身が確認できない箱を用意する。
その中に、猫と毒ガス装置を入れる。
毒ガス装置は特殊なもので、中に放射線を発生するラジウム原子が入っており、ラジウム原子から、一定時間に半々の確率で発生されるα波を検知した場合、猫に向かって毒ガスを排出する仕組みになっている。
一定時間を過ぎて箱を開けたとき、もちろん猫が生きているか死んでいるかは、半々の確率である。

もしコペンハーゲン解釈が正しければ、ラジウム原子がα波を出す・出さないという挙動は、結果を確認するまで「重なり合った状態」であるはずだ。
だとすれば、自動的に毒ガス装置も、排出した・しないというふたつの状態が重なり合わなければならず、一緒に箱の中にいる猫も、生きている状態と死んでいる状態が重なり合っていることになる。
そして、観測者が箱を開けた瞬間にそのふたつの猫は収束して、どちらかの状態であるひとつの猫に変化するということになる。

『ミッション:8ミニッツ』で実行されているミッション、「包囲された城」は、整理すると、この「シュレーディンガーの猫」の思考実験と非常に符合する点が多く、これをモデルにしたものであることが分かるだろう。
ちなみに、「包囲された城」は、同名のトランプゲーム(数字を連番で並べていく)のことであり、また、試行錯誤を重ねて正解へたどり着くミッションを表してもいるし、さらに「シュレーディンガーの猫」における「観測者と箱」の暗示という、トリプル・ミーニングが施されている。

コルターが職員(観測者)と通信が出来ているときは、まだ猫が箱に入っていない状態と同じである。
そして、コルターがソース・コードに進入するとき、観測者はコルターがどのような状態にあるか確認できない、つまり、「シュレーディンガーの猫」における箱の中に入った猫と同義となる。
箱を開けるまで、コルターとショーンの脳は、劇中で博士が説明したとおり、「重なり合った状態」なのである。

「シュレーディンガーの猫」の思考実験は、コペンハーゲン解釈の批判のみにとどまらず、重要な命題を後世まで残すことになってしまった。
「では一体、箱を開ける前、猫はどうなっているのだろう?」

プリンストン大学の大学院生、ヒュー・エヴェレット三世は、この命題に、非常に興味深いユニークな解決法を考え出した。その世界観が「多世界解釈」である。
それは、複数の起こりうる結果(猫が死ぬ、生きる)があるとき、世界はそこで分岐し、そのぶんの複数の世界が生まれている、というものだ。
つまり、電子を観測するときに、その位置やスピン状態の可能性ぶん世界は用意されており、また「シュレーディンガーの猫」が、生きている世界と死んでいる世界があり、観測者自身もその中に組み込まれている、よって、常にひとつの結果だけが観測されるという理屈だ。
『ミッション:8ミニッツ』でいうならば、「包囲された城」は、じつは観測者達自身も、多世界の中のひとつの世界という「城」の中で包囲されていたのである。
その解釈が正しかった場合、もちろん世界はいろいろな結果の組み合わせにより、ほとんど無限に存在していることになる。

「多世界解釈」をあてはめれば、『ミッション:8ミニッツ』のストーリーのつじつまは、ほぼ全て解消されるだろう。
つまり、コルターが体験した回数ぶん世界は分岐したことになるのだが、重要なのは、その結果だ。
コルターがどう動いたとしても、爆発が起こって列車の乗員が全て死んでしまえば、当初の結果と全く同じことで、乗客は死に、コルターはミッションを請け負う世界を回避できないのである(クリスティーナひとりを救ってショーンが死んだケースは、結末が予想できないが、爆発は起こり、何らかの形でミッションは行われただろう)。
つまり爆発があったことで、分岐した世界がひとつに「収束」してしまう(またはマクロ的にはほぼ同じ結果の他世界が平行に存在する)のである。
爆発が起こるか起こらないかが、ここでは重要なのである。
つまり「爆弾を停止できるかどうか」が、「シュレーディンガーの猫」の思考実験における、α波が放出する・しないと同義であり、「爆発」が、毒ガスの噴出といえる。
爆発が起きてショーン(猫)が死ねば、コルターとショーンの重ねられた脳から、コルターが帰還するという道理である。
また、ショーン(猫)が健在ならば、8分間を超えて、コルターはショーンとして生きることが出来るのである。

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ミッション終了後のコルターの意外な提案…「もう一度列車に戻って乗客を救いたい」というのは、コルターが劇中で言うように、「量子論を理解している」、そしてミッション中の直感からこそ思いついた、「新しい世界を創出する」という試みだったのである。
この決断は、8分を超えて、今の自分自身が生き残るという確信の上で成り立ったものではなかっただろう、あくまで彼には、より良い世界をひとつでも存在させたいという想いがあったのではないだろうか。
もちろん、全ての世界が救われるわけではない。
実際にコルターのいた世界では、コルターは死亡し、それに加担した女性職員は、自殺幇助で逮捕されるはずで、そのこと自体は変わらない。
「離婚した君、離婚しなかった君も存在するはずだろう?」と、彼女に通信したコルターは、このことを言いたかったはずだ。
コルターは、現実世界ではシカゴの街を救うのみにとどまった。しかし、彼がショーンとして成り代わったもうひとつの現実世界では、乗客も、クリスティーナも、女性職員も、また、研究室に置かれているコルター自身をも救ったことになる。

「ここは僕達が望んだ世界なんだ、そう思わないかい?」
コルターがクラウド・ゲートに映った自分自身の姿を何度も幻視したのは、コルター自身が望んだヴィジュアルの投影、唯一のハッピーな世界だったのである(ただ、実際はショーンの姿のままであったが)。

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この楕円球のオブジェ、「クラウド・ゲート」にはどのような意味があるだろうか?
内部に入ると、光の複雑な屈折により自分の姿がいくつにも分かれているように見える、また外側から見ると、自分と世界が一つの球であるように包み込まれて(収束され)見える。
つまり、自分のいる世界はひとつである、またその裏側には、様々な他世界が平行して存在する、ということを、ふたつのカットだけで表現した、非常に見事な演出であり、このシーンが『ミッション:8ミニッツ』の全貌を一番分かりやすく表しているのではないだろうか。
それは、今、自分の存在する世界は、自分自身が選び取った世界であり、より良い世界を選び取る、選択することには意味があるのだという、ポジティブなメッセージに収斂されるのである。だからこのシーンは、感動的な音楽が加えられている。

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ちなみに、数学の世界に、「モジュラー形式」という複素解析的函数の複雑な計算式があり、また「楕円曲線」という代数構造がある。
「すべての楕円曲線はモジュラーである」というのは、谷山・志村予想という、日本人が唱え、「フェルマーの最終定理」を解くために利用された有名な数学定理だが、楕円の中に複雑な像を結ぶクラウド・ゲートの構造が、これに呼応しているように見えるのは面白い。

そして、映画本編にはこの続きがある。これは、映画化の際、監督や脚本家が合議の上つけ加えられた前日譚だという。
劇中でコルターは、女性職員にメールをしていたが、そのメールを女性職員が受信したところで、それは始まる。
それは、列車爆破事件のミッションが起きない、コルターがショーンとして生活を始めることになるだろう世界でのことである。
女性職員は、アフガンでの戦闘で植物状態にあり、生存装置で生かされている、まだ何も知らないコルターに、初めて出会う。
そこで観客に新たな疑問が生まれることになる。
ここにコルターの意識があるのなら、今ショーンとして存在しているコルターの意識は何なのか。
ひとつの世界にふたつの意識が存在している。これは、「重ね合わせ」ではないのか。
ここに、重々しいサスペンス調の音楽がかぶさることで映画は終わるが、「多世界解釈」で全てが解決したわけではない、まだ先に何かがある、という不気味な余地を残して終わるという意味で、ここは非常にスリリングな展開になっているといえるだろう。
しかし、このサスペンスは、もし「クラウド・ゲート」の前で映画が終わってしまえば、「あれ?じゃあ研究所のショーンの存在がおかしくなるよね…」という、観客の当然の疑問、当初からあった脚本の矛盾点の、苦肉の回収策なのだろう。
しかしここをうまく乗り切る唯一のピースをはめたことは、この作品を成立させるのに大きな意味を持っていただろう、極めて優秀な処理であった。

また、最近聞いた監督の発言によると、ハッピー・エンドで終わるのは、ショーンの精神を乗っ取って、唯一ショーンひとりを救えなかったことがひっかかっていて、申し訳なかったという意味もあったという。
理詰めの脚本のなかに、このような優しいまなざしもあるというのは、とてもほほえましいと感じる点である。

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