日本とラトビアを結ぶ暗闇『ふたりの旅路』(Magic Kimono)

桃井かおり、イッセー尾形共演、ラトビアと日本の合作映画。

神戸に独りで住む、桃井演じるケイコが、ひょんなことから、ラトビアはリガで行なわれる着物ショーに参加することになるところから映画が始まる。
リガに滞在するうちに、震災で行方不明になっていたはずの夫が目の前に現れ、映画は『幽霊と未亡人』、「父と暮らせば」を想起させる、生者と死者(?)による会話劇に移行していく。

二人の邂逅を媒介するものが、魔法の“KIMONO”(着物)である。着物を着て独りでいるときに、何故かイッセー演じる夫が出現し、話しかけてくるのだ。
本作で発揮されている「着物にはそういう、何か生と死を超えた不思議な神性が宿っている」という、民族衣装への漠然とした思いこみからくる飛躍した発想は、いかにも、それが日常的なものとして側にある、日本やアジアから遠い地の目線によるものだと思わされる。

桃井かおりが、次第に震災の記憶を呼び覚ましていく場面は、映画『父と暮らせば』の宮沢りえや、山田洋次監督の『母と暮らせば』の吉永小百合が持った神々しさとは違い、おずおずと自信に欠けた、ある意味で典型的な日本人女性の演技に見えて印象深い。
クラシックなラトビアの街の闇と、着物の女性のつつましやかなコントラストは、反モダニズムであり、またその背景に悲劇を背負うという意味において、ある種の共闘関係にあるように見えてくる。

そして、本作の日本人女性における「夫の不在」というのは、かつて「経済大国」として権勢を誇った基盤が崩れ、その理想は幽霊のようなものとして残り続けている状態を示しているようにも感じられる。
それがラトビア出身の映画監督、マーリス・マルティンソーンスの目論見かどうかは別として、その消えゆく理想をかろうじてつなぎ止めるものが、着物に代表される「文化的特殊性」でしかないとすれば哀しい。そこにある幻影は、現実の日本、そしてラトビアに象徴される暗闇へと通じているようだ。

そんなケイコが唐突に、ラトビアのTV番組に出演することになり、シェフとお料理バトルを繰り広げる、ビッグ錠、あるいは「料理の鉄人」のような展開も用意されており、驚かされる。

公式サイト:『ふたりの旅路』

 

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