『アフターマス』”魂”を押しつぶされる男

2002年、ドイツ上空で実際に起こった「ユーバーリンゲン空中衝突事故」と、その後に起こったことを、アメリカ映画として翻案した作品。妻子がこの飛行機事故で亡くなり、家族をすべて失い、生きがいを奪われる男を演じるのが、アーノルド・シュワルツェネッガー(以下シュワ)だ。

クリスマスの日、シュワ演じる建築作業員”ローマン”が、遠く離れて住む娘、彼女を迎えに行った自分の妻、この二人が飛行機で遠路帰ってくるのを自宅で待っている。久しぶりに家族水入らずで楽しい時間が来るんだと、ウキウキしているのだ。しかし、この映画を観るほとんどの観客が、これから起きることをある程度予期しているので、すでにこのあたりで、ちょっと胸が痛い。そこでBGMとして流れるのが、「ジングルベル」の歌だ。

“Jingle bells Jingle bells Jingle all the way…”

考えてみれば、シュワは『ジングル・オール・ザ・ウェイ』という幸せな家族コメディー映画に出ているわけだから、冒頭からかなり辛辣なユーモアが炸裂していることになる。しかしその後の展開は、言葉を失うほど深刻だ。

その後、空港に二人を迎えに行くローマンだが、なかなか飛行機が到着しないので、さしずめ天候のせいで遅れているのだろうと、係員に到着時刻を尋ねると、「こちらでお待ちください」と、奥の個室に通される。そこで、自分以外にも他の個室に通されている客がいることに気付く。「(なんか妙だな…)」と思ってると、先ほどとは違う人物がやって来て、「じつは…」と、妻子が乗った航空機が大事故に遭ったということを話し出す。折しも、他の部屋から聴こえてくる怒号、悲鳴……。
飛行機が無事到着していれば、今頃はターキーでも切り分けて、にぎやかな時間を過ごしていたことだろう。だが、ローマンは空港で一人立ち尽くしているだけだ。家に帰っても誰もいない。おそらくは、この先もずっと…。

交通事故や災害による事故を含めると、こういう不幸な事態というのは、それほど珍しくもないのかもしれない。しかし当事者にとっては、天地がひっくり返るほどの衝撃であり不幸であることは言うまでもない。ローマンは次第に精神の均衡を失っていく。たくましく発達した筋肉を持ちながらも、年を重ねているシュワが演じる男の立ち尽くす姿が、寂しく映る。シュワ全盛期を知っている者としては、こういう暗い内容の映画に、移民でありながら「強いアメリカの象徴」にまでのぼりつめた彼が出るのか…という意味で衝撃的だ。

別の時代では、この”象徴”はジョン・ウェインという西部劇のアクション俳優が担っていた。1962年に製作された『リバティ・バランスを射った男』は、ベテランとなったジョン・ウェインが主演した、名匠ジョン・フォード監督の作品だが、本作『アフターマス』を見ていると、この『リバティ・バランスを射った男』を思い出さざるを得なくなる。何故なら、やはり愛する女性を失った男が生きる希望を失って、正体がなくなるほど飲み、やぶれかぶれになって愛する女性と暮らそうとしていた自宅を全焼させてしまうという描写があるのだ。アメリカンヒーローに、ここまでめちゃくちゃになる役を演じさせたというのは、ある意味画期的だと思う。本作に感じるのも、同様にそこに投影された「アメリカの魂の失墜」というイメージだ。

事故後数年経って、ローマンは納得できない思いをつのらせていくが、その一因は航空会社の対応にあった。会社の弁護士も、社員の誰一人、そして事故の要因となったと見られている管制官すら、事故で家族をすべて失った彼に、一言も謝罪の言葉をかけなかったのだ。法律上、謝ったら不利になるという理屈は理解できなくはないが、人道上「それでいいのか?」という思いは誰しも持つところだろう。

訴訟社会の高度化によって、賠償の流れもシステマティックになり、マイケル・ムーアの『キャピタリズム~マネーは踊る~』でも描かれていたように、人格を物として扱う傾向が顕著になってきている。アメリカはそもそも個人主義が発達した国であったはずだ。しかし、いまや個人の自由や幸せを優先する魂は、金を支配する大企業に押しつぶされてしまっている。そしてそれは、日本を含めた世界的な傾向になってきているとも思える。『アフターマス』が、たくましい肉体を所在なく持て余すシュワの姿を通して描いているのは、かつて存在していた「魂」や「理想」が、現実のなかでつぶれていく痛ましい姿である。

2017年9月16日公開。
『アフターマス』公式サイト

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