k.onodera 2012年黒獅子ベストテン

今年は、現代最も重要な監督のひとりだった名匠トニー・スコットが亡くなるというショックに見舞われるという、そのことだけでも波乱の一年でした。
そのような暗澹たる雰囲気の中で、日本もアメリカも、TVドラマの映画化や続編企画など、映画のビジネス・コンテンツ化がさらに徹底されるとともに、アナログからデジタルへの転換点を迎えています。
ひとりの映画作家の突然の死が、ある時代の終焉を象徴しているように感じています。 「年間ベストテン」というのは、観ていない膨大な数の作品を無視していいのか、という当然発生してしまう疑問と、そもそも作品を褒めまくるというのが性に合わないという理由があって、やらない主義だったのですが、優れた作品を選定して序列をつけることで何らかの主張になったり、諸々のことを考えるタネになることを考慮し、初めてやってみました(去年のみベスト5はやりました)。
今年は鑑賞作品に、それでも質の高い作品が揃っていたということも動機付けになっています。映画ファンにとってある種「縁起もの」になってますしね。 では、ランキングの発表と講評をどうぞ。

1.『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 庵野秀明 日本映画

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前作の「破」が、甘っちょろい熱血ロボアニメとしか思えなかったというのもあって、まったくノーチェックでした。 なんと、前作までの展開はフリで、これまでの新劇場版の「都合の良いつくりごと」を大逆転させ、観客を奈落の底に突き落としたという最高の作品です。
旧劇場版は本当に素晴らしかったので、庵野監督はもう駄目なのか…と思っていたのですが、彼自身が言う通り、新劇場版を、「志を示す」内容に激変させてくれました。
昨今、テレビ番組の編成においても、一部の長寿作品を除いて、ゴールデンタイムからアニメーションは姿を消し、夕方や深夜などに追いやられている状況です。
そしてアニメは「一部のファンのもの」になってしまった。
何故、監督が言うように「本来のアニメファン層である中高生のアニメ離れが加速している」のか。それは、普遍性の喪失に他ならないでしょう。
普遍性を持って文学的テーマに取り組んだ「Q」は、「美少女萌え」や「視聴者・観客の自我を肯定してくれる商品」として、その地位を追われた日本のアニメーションに希望を与える一作になっていると思います。
この作品を、アニメファンだけのものにしておくのはもったいないです。 むしろ映画が好きな人、演劇が好きな人、アートが好きな人、読書が好きな人など、閉塞してしまった現在の日本のアニメーションの価値観の外にいる人にこそ、「アニメでこんなことが出来るのか、こんな力があったのか」という感動が味わえるのではないかと感じています。
とにかく、映画史上例を見ない、これでもかと主人公が追い詰められる展開、「妖怪大戦争」のような、奇怪でグロテスクな風景の中でカメラが躍動する、ものすごい狂ったアクションに圧倒され、単純に見世物としてだけでも、こんなに楽しい作品はないです。文句なく今年のナンバーワンです。
後年、各方面から再評価され、地位を確立するだろう名作になると思うので、未見の方、まだ劇場でやっているなら、ぜひ駆け込んで欲しいと思います。

「k.onoderaの映画批評 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』【前編】」
「k.onoderaの映画批評 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』【後編】」

 

2.『メランコリア』 Melancholia ラース・フォン・トリアー デンマーク映画

『ドッグヴィル』というシリーズがありましたね。あのあざとく知性に欠ける作品を観て、トリアーはもう駄目なのか…と思っていたのですが、前作の『アンチクライスト』と、この『メランコリア』で完全復活を果たしてくれました(ヒトラーへのシンパシー発言なんかで、お騒がせなトラブルもありましたが)。

この作品についてレビューを書きましたが、私はこれを、タルコフスキーの亡霊を召喚し、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の壮大な「前奏曲」に乗せた、映画史上最大規模のラブ・ストーリーだと分析しました。
芸術、芸術、芸術。ラース・フォン・トリアーの、このあまりにも純粋な芸術志向への回帰は、世界の映画界における、スケール・ダウンしてしまった「作家主義」の復権ののろしでもあるかのようです。
既に鑑賞した方は、詳しくは「k.onoderaの日記『メランコリア』」で解説していますので、ぜひご覧ください。

 

3.『ニーチェの馬』 A torinói ló タル・ベーラ ハンガリー映画

映画とはなにか。それは「カメラと被写体」だ、おそらくそういう信念のもと、「劇映画」というスタンスから、その真髄に迫ろうとする試みだと思います。
劇伴は中途で開始され、中途で終わります。それがニーチェの「永劫回帰」という思想につながっているのでは、とも思うわけですが、この映画は深く考えすぎると、トリノで馬を見たニーチェのように発狂しそうな、そんなおそろしさがあります(だから分析も何もしておりません)。
いつもやりとりさせていただいているn.sakagami(hychk126)さんが、この作品の魅力について注意深く語っておられるので、sakagamiさんの記事 「君は超人のように生きられるか?– タル・ベーラ監督 『ニーチェの馬』」をおすすめさせていただきます。
上映時間に比べ、カット数が極端に少ないですが、このことが「視る」ことについて、否応なく対峙させられる映画になっている理由ではないでしょうか。このなにか根源的な恐怖は、「深淵を覗く者は、また深淵から等しく見返される」というニーチェによる一節を思い出させます。
そしてそこに挑戦した、タル・ベーラの揺るぎない信念、強度に深く感動させられます。
ちなみに、貧しい家の食事として、本作ではジャガイモが象徴的に扱われているのですが、これが丸々と太った「商品」としての芋だったので、おそらくは近隣のマーケットで手に入れたものなのかな…と、消沈させられる部分もありました。
これがありえないほどやせ細った芋だったり、小さな小さな芋の連なりだったりするように、さらにリアリティを追求してくれていれば、ナンバーワンに挙げていたと思います。

 

4.『禁断メルヘン 眠れる森の美女』 La belle endormie カトリーヌ・ブレイヤ

フランス映画 カトリーヌ・ブレイヤ監督の映画が大好きです。信奉しています。 スキャンダラスだったり、エロティックなものを扱う監督だという理解が支配的ですが、彼女の才能は、そんな狭小な価値観を軽く飛び越えていきます。

あなたは、『処女』の革新性を、『青髭』の孤高の美を体験したことがあるでしょうか。現在、最も野心的で、破壊的で、美しい映画を撮る監督です。 『禁断メルヘン 眠れる森の美女』は、彼女の最高の作品ではないかもしれませんが、それでも、表面的でない「女性的な感性」の始原からかたちづくられる、この独特で、かつきらびやかな世界は、映画のいろどりをこそ本質にしてしまう、圧倒的パワーがあります。

もうブレイヤ監督の奴隷になってもいいです。

 

5.『戦火の馬』 War Horse スティーヴン・スピルバーグ アメリカ映画

スピルバーグはアクション映画に興味を失っているということですが、それも納得してしまうくらいに充実した、熱量と美学のある、堂々とした絵巻物になっていると感じました。ムーブマンとしての役割を終え、映画を「絵画的」に表現することを、腰をすえた自信を持って肯定しているようです。

ジョン・フォードと黒澤明へのあこがれが焼きついた、豪壮な、叙情的な画面に痺れさせられます。 またジョン・フォードを目指したとはいえ、最後の、燃えるような夕焼けのシークエンスはなにごとでしょうか。ある種の冷たさがスタイルを確立していたスピルバーグ映画が、これほどの叙情に到達したというのは驚異的です。 スピルバーグには、可能ならばヒットを考えず、「映画の聖典」をつくる作業にかかって欲しい、そのように思わせる出来でした。

彼もトニー・スコットに並ぶ、アメリカ第一の監督ですね。

 

6.『ドライヴ』 Drive ニコラス・ウィンディング・レフン アメリカ映画

非常に面白い試みの、構造主義的でモダンな映画です。こういう難解な作品がヒットするというのは素晴らしい。

ここでは、西部劇『シェーン』の要素が解体され、そこに60、70年代のテイストを添加し、静かな映像詩のような、全く別のものとして再構成されています。 ちなみにこの先鞭が、イーストウッドの『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』だったわけですね。

この映画について、「半死半生論」を提唱したレビューを書いておりますので、ご覧になっている方はぜひお読みください。

 

『ドライヴ』 半死半生論

7.『ローマ法王の休日』 ナンニ・モレッティ イタリア+フランス映画

日本版の予告編の印象とは全く異なったアート・フィルムです。 きわめて知性的な、批評眼的な映画で、これがカイエ・デュ・シネマの去年のベストワンであるというのは、すごくうなずけます。

根底に流れたリアリティと真摯な悪意に翻弄される、畏るべき映画。

 

8.『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』 Bridesmaids ポール・フェイグ アメリカ映画

このTV出身の監督、才能ありますね。アメリカのTVコメディ独特のゲスさを発揮した、お下劣ネタのみで構成された脚本を、その卓越したセンスで、紙一重で上品な位置に引っ張りあげています。

TVのコメディの美点を、映画という枠組みの中でそのままうまく開花させたというのは、松本人志がやろうとして失敗したことでしたね。

最も驚嘆したのは、しつこいしつこい反復の表現で、このナンセンスさっていうのは、ハワード・ホークスのそれを引き継いでいるようにも感じるわけです。

映画監督廃業を宣言してしまったケヴィン・スミス(撤回して欲しい!)のポストには、彼が一番近いのではと感じています。

 

9.『ミッドナイト・イン・パリ』 Midnight in Paris ウディ・アレン スペイン+アメリカ映画

パリに限らず、20年代の黄金時代にはみんな憧れがありますよね(ね?)。

フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ピカソ、マン・レイ、そして『黄金時代』を撮ったブニュエル。 ほんのりとした苦さもあるのですが、観ている間は、こんなに心地よくていいのかしらと、後ろめたさを感じてしまうくらいに、やさしいやさしい映画です。

ウディ・アレンならではの、全て洒落で済ましてしまう軽快さも素晴らしい。 いつまでもこの世界にひたって帰りたくないと思わせる、夢の映画です。映画とは夢。

 

10.『別離』 جدایی نادر از سیمین アスガー・ファルハディ イラン映画

落語家ですか?というくらいに、狐につままれたような、うますぎる完璧な脚本。 映像や特殊な演出に頼らずとも、脚本の練りこみでここまで楽しい映画になるっていう事実は、衝撃的でした。

考えれば考えるほど、映画は深く、面白いものになっていくのですね。 ただあまりに端整すぎて、詐欺にあったようなこころもちがします。

また、アカデミー賞の受賞で、一気に注目が集まった本作ですが、その一方で同じイランのジャファール・パナヒ監督が、政府からひどい弾圧を受けていたことを忘れてはならないと思います。

 

新作以外では、木下惠介監督の『楢山節考(1958)』、ベンジャミン・クリスチャンセン監督の『魔女』、ルイス・ブニュエル監督の『銀河』が素晴らしかったです。 こちらは生涯ベストのランキングに残る映画でした。

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