『映画 けいおん!』 ガイノイドが席巻する日本 そして「けいおん!論争」

「あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。嫌悪感ならあります」
目の前でiPadを操作しているインタビュアーに、宮崎駿はこのように言い放った。
そして、「これはツールであり、資料を取り寄せ調べることも出来る」というインタビュアーに対し、こう付け加えた。
「あなたには調べられません。なぜなら、安宅型軍船の雰囲気や、そこで汗まみれに櫓を押し続ける男達への感心も共感もあなたは無縁だからです。世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。」

この、いささか不当にも聞こえるハイテクツール批判に根ざした宮崎駿の考えというのは、インターネットによって得られていると思っている知識が、現実から直接与えられるあれこれに比べ、二次的、三次的のものとなってしまうことへの危機感が影響しているのだろう。
そもそも芸術の本分とは、いにしえのラスコーやショーヴェ洞窟の壁画からも分かるように、「現実を写し取る」というところから始まっている。
具象・抽象を問わずして、対象に対峙し本質をとらまえて表現するというのは、画家や彫刻家に留まらず、全ての表現者に共通する大テーマであるといえる。
もちろん、ここではiPad自体が悪者にされているというよりは、取材やものづくりの姿勢についての憤りでありサジェッションでもあったのだろう。
では、宮崎駿が自作の調査にあたり、どんなアプローチを行っているのか。
漏れ聞くところによると、例えば『千と千尋の神隠し』のために、彼はある家庭に泊り込み、そこの幼女と一緒に暮らしつつ何日間も観察し続けるという、怖ろしい方法で取材をしたという。
しかし、これが本当の芸術家の姿なのである。
対象の魅力というのは、表現しやすいもの、表現しにくいもの、美醜・清濁を併せ呑むものであり、それを一次情報から自身に取り込み、再定義しつつ作品に取り組むことで、真の表現に近づくのである。

またそれと同時期、押井守は現在のアニメーションの状況を、こういう言葉で批判している。
「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」
ここでも、二次、三次的な情報を享受し作品をつくる、内向きのクリエイターへの問題が指摘され、さらにそこで生まれたものが、オタクに消費されているものに過ぎないのだという。

専門学校でアニメーションを教えている、私の知人も、よく同じようなことを愚痴るのだが、生徒のほとんどがアニメやTVゲームにしか興味がないというのである。
彼が、イマジネーションやオリジナリティの大切さを散々説いたとしても、そのような生徒に自由課題作品を作らせると、変わりばえの無い、現行のオタクアニメ風の表現しか出てこないらしい。
作品に程度の差こそあれ、それ自体がすでに現実から距離を置いたものである以上、それのみを参考とした、いわゆるコピー作品は、受け手にとって情報価値が薄いものになっていく。
彼は、アニメーションの制作現場にいたときから、周囲のスタッフの多くに同様の違和感を感じていたのだという。
我々は、世の中にいわゆる「アニメオタク」と呼ばれる視聴者が増えたことで、そういった作品が多く作られていると思いがちだが、じつは事態はもっと進行していて、制作現場そのものがオタク志向のスタッフであふれている状況がだいぶ以前から始まっていたのだ。
しかし、何故現在の日本のアニメーション業界は、そのような状況になってしまっているのだろうか。

「けいおん!」は、軽音楽部に入部した平凡な女子高生達の日常を描いた物語である。
4コマ漫画を原作としたTVアニメーション版「けいおん!」は、いわゆる美少女アニメに慣れ親しんでいなければ、非常に奇異かつ、ある意味で新鮮に感じるだろう。
それは、TV版に準じた『映画 けいおん!』にも同様の世界観なのだが、これがどのような理由で構築されているか…、じつは必然的に、なるようになってしまった結果なのだが、この複雑な事情を説明するには、社会学的側面と、受け手側の心理に踏み込んで、かなりの字数を割かなくてはならない。

TV放映時のTBSプロデューサーや山田尚子監督の意向は、基本的には、男性オタクを中心とした美少女アニメであることを保持しつつも、同時に女子中高生にも受けいられるような作品作りを目指したということだという。
そう聞くと、なるほど、作中のアイキャッチやインテリアなど、また映画版のこまごまとしたオブジェクトなどは、女性監督ならではの、繊細な神経を感じる部分が散見される。
それでも、やはりそれは枝葉末節の意匠に過ぎず、一般的な女性視聴者や観客が、これを自分自身の現実とリンクするさせ、感情移入することはなかなか困難だろうと思う。

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「けいおん!」を見ていてまず気づくのは、ドラマに通常あるべき、力強い作劇や、テーマ性を打ち出すことを目指しているようには全く見えないということである。
これは、ストーリー性に乏しい4コマ漫画が原作だという特性上、当たり前といえば当たり前なのだが、原作同様、このようなアニメーションがファンを獲得し、商品として成立し得ている要因は何かというと、これが「美少女アニメ」の本質である「キャラ萌え」という概念である。
もともと、漫画やアニメは、テーマや物語、作劇や演出を見せることが主眼であるが、精神的に未熟な一部ファンは、そういったものを重視せず、キャラクターそのものにフェティッシュを感じる、または恋愛感情か、それに準ずるものを持ってしまうことがある。
「版権もの」と呼ばれる同人誌は、そういった病的なファンのさらに一部が、自発的に既存の作品からキャラクターだけを抜き出し、都合よく改変した物語の中に組み込むというもので、その多くはポルノであるということも指摘しておかなければならない。
著作権問題や心情的な問題から、このような事態に対し、原作者や出版社などが意義を唱えた例は少なくないが、現在それが、ある程度許容され黙認されているような、漫画・アニメーション業界の体質、とくに最近ではそれを見越した上での、ポルノとして完結する二次創作物を意識した上での、見本市であろうとする意思までもそこからは感じ取れる。
そのような中、込み入った物語など必要ない、作劇とはひたすらに、配置されたお気に入りのキャラクターを眺める上で、都合が良くて快適であればいいというスタンスが醸成されてきたように思える。
便宜的にはドラマとして作られていながらも、それが重視されないというのは、歪んだ作品の在り方であることは自明であるが、そういうものを支持するファンが、限定版ソフトやメディアミックス商品を購入するということも事実である。これは最近のロリータ・アイドルビジネスとほぼ同様の現象であるといえるだろう。

押井監督の『イノセンス』は、現在の「美少女アニメ」にみられる、クリエイターと観客(視聴者)における共犯関係を痛烈に批判している。
近未来に起こるガイノイド(女性のアンドロイド)の暴走殺傷事件の捜査が、『イノセンス』の中心的ストーリーであるが、この「ガイノイド」こそ、いわゆる美少女アニメのキャラクターを、アイロニカルに表現したものだといえよう。
捜査過程で、この暴走した少女タイプのガイノイドは、じつはセクサロイド(性的充足を目的としたガイノイド)であったということが分かるのだが、これは、美少女アニメの本質が、性欲とロリータ・コンプレックスに根ざした商品であり、それを表向きには隠蔽しつつ、公然と販売されていることを暗示しているだろう。

人間の「理想形」を模して作られ、経年劣化と、新タイプの登場によって使い捨てられる存在であるガイノイド達が、同一の規格により、みんな同じ顔に作られていることも、美少女アニメとの類似部分である。これはよく「ハンコ絵」と呼ばれる、作中の人物の描き分けがほぼ見られない状態を指していて、それは短いスパンでの流行り廃りによって、すぐに消費され消えていく。
このように、美少女アニメは、例外なく特殊な絵柄で描かれているが、それが普遍的表現の逸脱と、クリエイターが相互的に絵柄のコピーを繰り返した退廃的結果だということは明白だろう。
つまり、一次情報である人間そのものの模倣であるというよりも、模倣されたものの模倣、そのエッセンスだけが残存し、それは実際の人間への興味から距離を置いたものへと変貌していく。
これがいかに普遍的感覚からずれているかは、いわゆる「萌え絵」の過去を遡っていけば、誰にでも容易に理解が可能なことだと思う。

「けいおん!」のキャラクター・デザインは、そういう意味において、一種異様な位置にあるだろう。
他の美少女アニメーションと比較したときに感じる特徴的部分は、等身の低さ、脚・腕の太さに加えて、重心が外側(手や足)にあった従来のアニメーションとは逆に、それが中央に集まっているというところである。
また、全体的なシルエットを見れば不恰好に見えるような、手や足の小ささ、さらに胴の長さ、足先から膝までの距離の短さも非常に特徴的で、プロポーションをあえて鈍重に、また肉感的な強調を加えることで、生々しい実在感を与えることに寄与しているように見える。
もうひとつは、監督の意向により、女子中高生の視聴者にも受けいられるように、女性が嫌悪するような露骨な性的強調を意図して避けているという点だ。
これが非常に難しいバランスで、性的イメージを下品にならない一歩手前でとどめ、さらにその中で最大限に性的イメージを発散させなければならない。
これら要件を満たした絶妙のキャラクター・デザインは、そういった意味では、相当に試行錯誤の跡が見えるものである。

また、「けいおん!」の世界観で見逃してはならないのが、キャラクターはまっさらな新品でなければならぬという、「処女信仰」の存在である。
女子校が舞台とはいえ、女子高生を主人公にして日常を丹念に描こうとする、現実的な通常の群像劇であれば、彼女達登場人物の関心事に恋愛は欠かせないはずだ。たとえ、仮に恋愛がテーマと関係ないとしても。
しかし、「けいおん!」にはそのような描写がほとんど存在せず、珍しく恋愛的な雰囲気を持ったシーン(自宅のポストに投かんされた作詞のメモを誰かのラブレターと勘違いする)などがあったとしても、それは対象不在のものとして決着してしまい、ここでは注意深く「彼女達にとっての恋愛対象になり得る異性」が排除されている事実が確認できる。
美少女キャラクター達は、まるでロボトミー手術を受けたかのように「幼児化」され、性的な欲求が消え去っているように見える。
それは、キャラクター・ビジネスを展開する上で、その商品価値である「処女性」を揺るがしかねないあれこれを、外側からも内側からも徹底防衛するという確固たる意思からきているだろう。
つまりこれは、ドラマのリアリティを犠牲にしてまでも、キャラクター・ビジネスを優先させているという証左であり、「けいおん!」がドラマ軽視、作品軽視の態度を貫いた「商品」であるという事実を我々に意識させる部分だろう。

興味深いのは、その処女防衛の徹底振りである。
『映画 けいおん!』では、ロンドンが舞台の一部になっているため、さすがに女子校の中のような、女性ばかりの閉鎖空間を描くことが非常に困難であった。
こういう場合どうするかというと、男性として魅力のあるだろうキャラクターをフレーム・アウトして、去勢されたような男、描きこみに気合を入れないモブ的な存在として描くというメソッドがとられている。また、そういうモブのキャラクターの絵が壊滅的に下手なのは、京都アニメーションに限ったことでなく、現在の日本の多くのアニメーションに共通の問題でもある。
しかし、通常、魅力的な男性キャラクターを登場させたところで、恋愛さえ描かなければいいはずで、例えれば、兵士が侵攻して来ても水際で抵抗すれば良いし、そもそも兵士に戦争をさせなければ良いだけの話だろう。
だがここでは、侵攻するポテンシャルのある兵士自体が、世界のどこにも存在しないのである。このことにおいて、作り手は受け手に対し、現時点のみならず、未来まで示唆した恒久平和を約束しているということが分かる。

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そのような病的ともいえる処女信仰の源泉は、一般的なアニメオタクの、女性との交際経験の貧弱さに由来していることは、指摘するまでもないことなのかもしれない。
自分のお気に入りのキャラクターが、たとえ設定としてだけでも、すでに何者かに蹂躙されている、穢されているという意識は、嫉妬と憎悪を呼び、さらにそれが自分にとっての「裏切り行為」であるとさえ感じる視聴者が存在するのである。
実際、美少女漫画「かんなぎ」では、作中にてヒロインの非処女疑惑が持たれるような描写をしてしまったために、編集部に抗議が殺到し、結果として連載休止の憂き目に遭ったという。
そのテツを踏まぬように、京都アニメーションの制作現場では、そのような幼児的欲望とコンプレックスに対し、徹底的にリスク・ヘッジしてゆく。
それは、集合的な経験の中で醸成された「美少女アニメ」の作法であり、かつてハリウッドで整備されたヘイズ・コードのような縛りを、独自に設定するという試みでもある。処女性を揺るがすタブーを禁ずるために独自進化させたそれは、「処女防衛」コードと呼べるものだろう。

よって、「けいおん!」が恋愛を描いていないというのは適当ではない。そもそもが恋愛を描くこと自体、禁じられている、もとい禁じることを自らに課しているのである。
そして、恋愛をテーマにしていないからそれを描いていないのでもなく、恋愛や性的な部分を非常に意識しなければ価値を保てないからこそ、それを本来の意味において描くことができないでいるのである。
劇中で何度も見られる、女子高生の太ももの強調シーンに代表される性的イメージは、物語の何かに回収されることはなく、また我々の前に「自然に投げ出されている」ような体(てい)で演出されている、この微妙で巧妙な欺瞞から発生している距離感覚こそが「けいおん!」全体に流れている、最も特異な点なのである。

しかし、ここまで必死にアニメーションの中を無菌状態に仕上げたものの、映画公開前にあるスキャンダルが発生する。主要登場人物を演じる声優の一人が、ある男性と交際しているということが発覚してしまったのだ。
さすがにアニメーションの設定が、現実まで防衛することは不可能だったらしく、このことは一部ファンの間で盛んに話題とされ、批判にさらされた結果、声優自身がブログにて、事態の説明と今後の活動について声明を発表する事態となったのである。
だが、彼女がこのようなプライヴェートな事情を釈明する必要がどこにあるのだろうか。彼女は仕事として、表現者として、ただ与えられた役を演じたに過ぎないはずだ。
「けいおん!」の一部ファンは、アニメーションのキャラクターに処女性を求めるのに満足せず、それを演じる声優にまで処女性を強要し始めたのである。ここまでくると、ファンというよりも、もはや一種の狂人の集団と思えてくる程である。
しかし、そのファンを切り捨てることもできないのが現実だ。なぜなら彼女にとっても、自分を熱狂的に支持してくれるコアなファンが、声優活動の生命線(ライフライン)となっているからだ。
『イノセンス』におけるガイノイド事件の謎の真相部分は(ここで明言することは避けるが)、その部分が、声優が美少女キャラクターに声の吹き替えを行うことで、人間らしさを獲得し、また声優自体が独立した商品足りうることを示唆していて、『イノセンス』はそのような意味でも、非常に優れた風刺作品となっている。

ファンの暴走する欲望の異常性は、このような処女性のみにとどまらない。
イスラム教では、敬虔な男性信者が死後、天国に到達すると、そこで72人の処女と生活ができるという。
そのようないわゆる「ハーレム」を所有することは、万人の欲望の代表的なものであるだろう。
前述したような作り手・受け手達の、美少女が見たい、美少女を描きたいという欲望の先にあるのが、物語性の排除であり、また根源的欲望である「ハーレム」形成願望に行き着くのは自然であるのかもしれない。
美少女アニメのジャンル下に、主人公を中心に美少女を大勢配置するというジャンルがあり、しばしばそれは「ハーレムもの」と呼ばれることがある。PCゲーム業界でも、このような美少女アニメーション風のキャラクター達をハーレム化したポルノ作品が一大産業となっている。
その多くは、存在感の無い、冴えない男の主人公の周りに、文字通り色とりどりの女性キャラクターを配置していくというつくりになっている。これは、「この主人公に、あなた自身が自分を投影してください」というものである。
そういうところだけ見ていると、ほとんどこういった類の作品は、性を売り物にした風俗店と本質は変わらないように思えてくる。
しかし最近になって、それがさらに進化したように思える。それが、京都アニメーションの「らき☆すた」や「けいおん!」などの、男の主人公が存在しない作品である。私はそれでも、これを「ハーレムもの」の延長線上にあるものと考えている。
もともとハーレムの中心に、突出した能力や性格を持った男のキャラクターを居座らせるような設定は、ファンは好んでいない。そこに自分を投影することが難しく、また自分自身の成長や価値を判断されたくないと思っているからだ。
ではそこに生まれている障害を排除した究極的な状態とはどんなものだろうか。
それが、主人公の「透明人間化」である。
つまり視聴者は、女子高というハーレムの女性達に認識すらされない「透明な存在」として、その中心に居座るということになるのだ。
自然なドラマや、細やかな人間のドラマでは決してない、これが「けいおん!」の、極めて病的といえる奇妙な構造の、もうひとつの正体である。
彼女達は恋愛感情をほとんど持たされず(ロボトミー化され)、透明なのぞき魔の前で、無防備に日常を送ることで、無意識的にハーレムの中心たる王へ奉仕させられているのだ。
そこでは、かつてのハーレムものに多少なりともあった、コミニュケーションの軋轢や面倒くさささえもが全て排除されているところが特徴的だろう。

このような作品が支持される背景には、若い世代のコミュニケーション不全の問題があるのだろうと思う。
可能な限り苦痛や苦労を取り除いたうえで、最大限に良い思いをひたすら味わいたいという願いが、そういうものを欲しているということである。
しかし、それが全く悪いものであるとまでは言えないとも思えるのは、日本の若い世代が現在被っている社会問題に、格差や就職難、結婚難などが横たわっていることが影響しているからだ。
アニメーションが商品であるならば、せめて彼らが、そこでだけでも肯定され、苦労もなく安寧にロボトミー化された女子高生奴隷達を眺め過ごせる場所があっても良いのではないかとも思う。
だが、やはりそれはあくまで欲望を満たすための商品であって、作家の作品というよりは、商品としての評価しかできないというのも事実だ。

前述したように、「けいおん!」においては、それでも山田尚子監督が、美少女アニメの支配するコードを守りつつ、なんとか閉鎖的なオタク向けの商品にならないよう、腐心したのではないかと見られる部分が多々あったし、映画版ではそれが一歩進められ、女の子特有のかしましい、また相互の関係性のなかでの微妙な空気を、卒業旅行というイベントのワクワク感とともに、TV版よりも注力し描けているようにも思える。
例えば、飛行機に初めて乗ってはしゃいだり、ビーフ・チキンの選択であたふたしたり、空港の動く歩道で遊んだりなど、山田監督の中にまだ残っているだろう、素の女子高生としてのリアクションが垣間見えるところは素晴らしいと思う。
しかし、そもそもがオタクの妄想の具現化であり、欲望のはけ口の対象たるキャラクター偏重のテーマの無いドラマの上から、女子高生のリアルな感情を、本質的な意味においてスポイルした状態でイキイキとさせようとする、また女の子が好きな要素を散りばめ、どんなに糊塗しようとも、それが作品全体の価値を急激に上げられる訳はない。
逆に、女性を蔑視するような世界観を、女性自身の側から裏づけを与えているようなもので、結果的に、一層救い難い気持ちの悪いものになっている。
それはもう、京都アニメーションという土壌にしてからが、そのような価値観の上で作品作りをする前提で成り立っているので、仕方の無いところなのだが、この価値観をどこかで否定する部分が無い限り、「けいおん!」から、真の意味において作家性や芸術性が生まれることはないだろう。
女の子の日常を丹念に描けば描くほど、感情にリアルさを持たせようと努力を重ねたとしても、それはより精巧なガイノイドを作るという意味に全て還元されてしまうからである。
つまり、ここで描かれる心理描写やあれこれの要素を評価することは、女子高生をテーマとして飾り付けられた風俗店の中で、「これは本物の女子高生らしくていいぞ!」と評価することと同義なのである。
なので、ここで描かれている魅力的な、ふたつの部屋を堂々巡りする運動も、スッポンを仰角で見つめる水槽のシーンも、面白い角度で規定された構図の卓球シークエンスのモンタージュも、キャラクター達の仕草を滑らかにするべく描き溜められた動画枚数も、作画・動画スタッフ達の個別の冴えを評価することしかできないため、作品全体としては、本質的な意味での価値に寄与できているものではない。

「けいおん!」は、そもそも作品の存在自体に欺瞞があるように思える。
軽音楽(ここではロック・バンド)に初めて挑戦し、音楽の楽しさを知っていくというのは、表面的には学園部活動ものとしての常道のストーリーのように思われるが、主人公の唯は仕方が無いにしても、ロックを愛し、武道館ライブを画策している部長・律までも、音楽に詳しいような様子が全く無い。
一応、ミュージシャンの固有名詞や楽器の専門用語は登場するものの、それが血肉をともなっていず、セリフのなかで即物的に消費されていくだけのところを見ていても、原作者を含め、アニメーションの演出・脚本に、ロック自体への熱意がまるでないことは察知できるし、それがせっかくの題材をスポイルしているばかりか、その上でプロ並みの演奏をして、ロンドンの飲食店で絶賛されるなどの結果を出しているところなどは、本気で音楽に取り組んでいる人から見ると、腹立たしく感じる部分だろう。
ロック・ミュージックが、平凡な女子高生に、新しい豊かな世界への扉を開くきっかけとなってこそ、軽音楽部という舞台を用意することの答えとなるべきではないのか。
よって、克服すべき何ものかが希薄で(あっても、体調の悪化と、人間関係のささやかな軋轢くらい)、彼女達にとって思い出の1ページでしかない、このロック・ミュージックとの出会いというのは、ただアニメ外のCD販売や声優のライブイベントへの拡張性としての意味ぐらいしか持たされていない。
結局、どんな部活動に挑戦したとしても、彼女達は同じような姿勢で臨むに違いなく、いつも部員がお茶を飲んでお菓子を食べて、「放課後ティータイム」と言っているくらいなので、放課後ティータイム部(茶道部と言うと茶道部に失礼なので)として、ひたすらだべっていた方が、まだ作品としての存在価値は担保されていたのではと思う。
制作者自体が愛していないものをジャンルとして選んでしまっていて、後追いの貧弱な知識だけで対応した作品に、内容やメッセージなど、そもそも期待すべくも無いだろう。

現在の日本のアニメーションは、前述したような、キャラクター偏重主義とアイドルビジネス、そこから生まれるドラマ軽視の姿勢、また受け手側の身勝手な欲望を肯定するというような作品が多く作られている状況から、普遍性を喪失し、またスタッフのさらなるドメスティック化から、危機に瀕していると思われる。
では、こういう状況下で、どのような作品作りをすればよいのだろうか。
そもそもアニメーションは、現実と切り離された世界を描くときに効果的なものである。
しかし、それが意味を持ったり、人の心を感動させるような表現を成し得るというのは、不特定多数の観客が持っている普遍的問題や感情、また世界の真実を垣間見せる瞬間にあるだろう。
つまりそれは、現実の一次情報を描きとろうという信念であり、そのような視点を用いて、どこかに現実の自然や社会性とのリンクを見出して表現しようとする覚悟である。

アニメーション監督庵野秀明は、「新世紀エヴァンゲリオン」の旧劇場版において、自らアニメ表現を否定し、自分の存在価値を消し去ることで、内面的な意味においてファンと一緒に心中を果たした。これは、監督自身が自分の仕事をいったん外側から見つめ、真摯に現実に向き合った結果であり、だからこそ、そこに現実への風穴を開けることに成功している。
押井守監督は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』において、また幾原邦彦監督は『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』において、アニメ世界における約束事や縛りを逆手にとって、その醜悪な虚構世界からいかに脱走を図るかをメインテーマとしている。
これら監督に共通してある信念は、オタクの消費物たる商品を、作家の作品として、、また芸術として生まれ変わらせようという熱意なのである。
そもそも、欲望のはけ口たる往年の「にっかつロマンポルノ」にも普遍的傑作はいくつもあって、それを傑作たらしめていた箇所は、どれもポルノとしての存在価値から大きく逸脱した部分にあったはずなのだ。
一般的な作品とは違い、閉塞したジャンルの作品は、このようにそのジャンルの価値自体を否定するような性質を備えるしか、商品としての在り様以上のものに到達することが敵わないのである。
これはもう、制作者による志が違うのだと言うほか無い。

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しかし、『映画 けいおん!』にも、そのような作家主義的な演出が、全くすべて効力を失っているというわけではない。
私がこの作品において最も評価できるのは、実写を利用したロンドンの夜明け、またCGを組み合わせた夜景のシーンである。
これらは、監督、もしくはロケハンがおそらく実際に現地取材で撮ったものを使用していると思われるが、これは純粋に、美術大出身の監督の感性が繊細に出ている箇所だと思われる。
ここだけは、本当にロンドンで彼女自身が感動した光景を、美少女アニメのコードとは全く関係無く、のびのびと表現できていて、この箇所からは、私にも普遍的感動を感じとることができた。

『映画 けいおん!』について、映画研究者の大久保清朗氏とTwitter上で討論しました。
発端になったのは、私が大久保氏のブログエントリー、「少女たちの小さな秘密――山田尚子監督『映画 けいおん!』」について、私が批判をした発言からです。
一連の討論の内容はトゥギャッターの『「けいおん!」論争』のページでまとめてあります。
そして、このブログエントリーで語った私の意見が、大久保氏の評を批判する要旨を説明するものになっていると思います。

私が述べたような、美少女アニメの持つ大きな問題に触れず、それでいて細かな表現を抜き出して高く評価をするという、専門家による批評は、山田尚子監督にとっても、日本のアニメーションの将来にとっても無責任なものだと感じています。

■追記(2012/02/04)
また、大久保清朗氏は後日(ブログエントリー発表から2ヵ月後)、Twitterにて「昨年10月、まだ『映画けいおん!』製作中の山田尚子監督に『キネマ旬報』の特集のためにインタビューをしたとき、山田さんは最後に「とにかく、『けいおん!』であることが大事なんです」とおっしゃっていた。それを聞いたとき、映画を見る前から、この映画に味方しようと決めたのであった。」と発言されています。
作品を賞賛する批評を発表した2ヵ月後のこの発言は、氏の研究者、批評家としての倫理観を疑わざるを得ない言動であることを、ここで指摘します。



75 thoughts on “『映画 けいおん!』 ガイノイドが席巻する日本 そして「けいおん!論争」

  1. 価値観
    2012年1月30日 at 2:27 AM

    久しぶりにどうかと思う批評ブログを見た。
    映画作品を批評する上で、大前提である商品性を叩いても何にもならんのに。。。
    しかも論旨の補足にしている宮崎駿、押井守、ギャゲーの議論にしても自分の都合のいいようにパッチワークしてるだけという。(まあ、多分まともに見てないんでしょう)

  2. 2012年1月30日 at 12:58 PM

    コメントありがとうございます。
    長文だったので恐縮ではありますが、ちゃんとまともに内容は読まれましたか?
    商品であることに徹しすぎていることへの批判はしていますが、そのようなジャンルの映画、アニメーションは、ここで述べた好例(商品でもあり芸術性としての価値も担保できている作品)のようなアプローチを取ることで、それ以上の価値を持つということを言っています。
    そのような普遍的視点のない作品は、作家の作品でなく、商品としての評価しかできないというのが論旨です。

  3. 小評論家
    2012年1月30日 at 3:26 PM

    これだけの長文評論なのに、全く内容が無いというのも珍しいかも…
    有名監督の言葉(それに対しては否定的な見解も多い)を並べ立ててみただけというのは、
    ちょっと稚拙すぎないかと。
    個人の主張が全く無いのが気になりました。
    まだ吾妻ひでお氏のけいおん評「空虚だ」のほうが単純明快ですな。
    恋愛が無いのを奇異視しているあたりに、
    時代の流れについていけない悲しさを感じます。

  4. 2012年1月30日 at 7:26 PM

    小評論家さん、コメントありがとうございます。

    私が他の監督の言葉を引用しているのは、現在の日本のアニメーションの状況を憂えた意見の例を挙げたもので、評の導入部くらいにしか使用してませんよ。
    私は自分の言葉で、できるだけ丁寧に、「けいおん!」の内容をスポイルしている原因を説明し、自身の美学と理論、実際の作品例から、作品のジャッジをしており、また閉塞的アニメーションの今後の改善点まで指摘しているつもりです。
    その点を理解していただいた上で内容がないとおっしゃっていますか?
    確かに美少女アニメ全体の問題についての記述は長いため、「そんなこと分かってるよ」と思われるかもしれませんが、こういう状況を知らない方も多いので、字数を長く要するということはご理解ください。

    また、恋愛が無いこと自体を批判しているわけではありませんよ。
    恋愛が無いという理由が、ドメスティックで商業主義的で普遍性の無いものだということに対して批判しているつもりです。
    その辺りはしっかりと明示してあると思いますので、内容をふまえた上で、建設的なご批判をいただければ幸いに存じます。

  5. 椿冷奴
    2012年1月31日 at 3:26 PM

    長文の端々から、自分の認めがたい作品がヒットしてしまったことへの
    ジェラシーを感じ取りました。
    深夜アニメから飛び出して、十五億を超える興行収入をあげている事実
    を評価するべきです。

  6. 2012年1月31日 at 7:26 PM

    椿冷奴さん、コメントありがとうございます。

    ジェラシーというよりは、私としては絶望感や諦観に近いでしょうか…。
    このような興行的成功によって、今後キャラ萌え美少女アニメが一般的な市場にどんどん入ってくるというのは、音楽業界でいうと、AKB48に代表されるロリータアイドル・ビジネスの成功に近い現象なのではないでしょうか。
    AKBが売れているように、「けいおん!」の興行収入の高さは、やはり商品としての喚起力の高さ(オタク心理の徹底把握)と、商売としてのうまさ(鑑賞3回ごとのフィルム贈呈などの戦略)を評価するということになると思います。
    その意味では私もビジネスとして感心するところではあります。

  7. マゼラン
    2012年1月31日 at 11:00 PM

    長文だけど丁寧で分かりやすかったと思いますよ。
    ご自分で長所短所と思うところをきちんと述べて、単なる「批判のための批判」でなくなってますし。
    大久保氏との論争はまだ未見ですが、どちらが是であり非である、というのではなく、異なる価値観を認め合いながらのものであればと思います。

  8. 2012年1月31日 at 11:26 PM

    マゼランさん、ありがとうございます。長文を最後まで読んでいただいて恐縮です。
    また、大久保氏の評論と、論争の方も読んでいただければ、さらにうれしいです。

    映画について批評をするというのは、多かれ少なかれ、作品の是非を問うものだと思います。
    そして、その批評自体も批評の対象になるはずです。
    悪い作品ばかりがけなされて、悪い批評は放って置こうというのではアンフェアです。もちろん、私の書いたものも例外ではありませんので、悪い部分がありましたらご批判ください。

    今回は、私がここで書いたような美少女アニメの本質的問題に全く触れず、「けいおん!」の美点ばかり挙げ、そのようにアカデミックな層までが、芸術作品としてのお墨付きを与えてしまう結果について、よく考えていないような大久保氏の評論が、あまりに無責任だと思い、異を唱えた次第です。

  9. 批評の批評
    2012年2月1日 at 12:22 AM

    本質って言葉が引っかかるな
    作品の本質ってのは大久保氏の言うように「作中のキャラの関係性と心理描写」であって
    美少女アニメ云々の話は作品の表層レベルの話じゃないか
    そういう表層レベルの話は言語化するまでもなくみんな共有していることだから
    この批評は「何のひねりもない、何も言ってないに等しい」んだよな

    昨今の萌えアニメはイカンと父権的に物申すのは構わないと思うけど
    それはもう作品論じゃなくてオタク文化論だよ

  10. hychk126
    2012年2月1日 at 12:26 AM

    こんにちは、興味深く読ませていただきました。
    私は観ていないので作品内容そのものについては踏み込めませんし(ちょっと卑怯ですが)、だから大久保氏が「秘密という名の小さな結び目の物語」と喩えた本作の「繊細さ」についても、それを頭ごなしに斬り捨てることもできませんが(要するに幾分気楽な立場でごめんなさい)、仮に私が大久保氏の言うところの「繊細さ」を否定したとしても、極端な話エロものの存在にも一面の意味があるのと同じように、またonoderaさんも本文で触れておられるように、「商品としてあってもよい」だろうという点に行き着いて、私の思考はそこで止まってしまいます。

    ただ、onoderaさんの問題設定はその先にあって、状況を巨視的に捉えた上での問題意識を持ってそこに声を出していくということだと思います。すでにやりとりさせていただいたことの繰り返しになりますが、私がonoderaさんに共感できるのは、需要層の欲望にフォーカスするのではなく、刺激と開眼を与えるような作品の、その製作実現性にも確実に悪い影響を与え始めていると思われるからです。onoderaさんの問題設定もそこだと思います。「あってよい」程度で安易に済ましてしまえる規模ではすでにないと。

  11. hychk126
    2012年2月1日 at 1:32 AM

    そう考えて一方で、ここで『けいおん!』が、先に書かせていただいたような、前提事項に近い大きな問題系を中心として取り上げられているのは、どこかスケープゴートな感じがあるのも事実です。
    例えば先日、園監督の日本映画の現状批判がありましたが、あそこでわざわざキムタクという固有名詞を、実際の役割としては「代名詞」として持ち出していたような、(けいおん!やキムタクへの)多少の不憫さも感じたりもします。
    大きな問題系を語るにもこうして個々のタイトルに触れていくしか実効性はないでしょうし、『けいおん!』自体が需要層の欲望の集積として象徴的なスケールであるのもおそらく事実なのだと思いますが、「題材設定そのものが欺瞞である」とご指摘されてたような、『けいおん!』内の固有の論点があるなら、それがもっと読みたかったです。

    クリエイターと需要層の共犯関係というのは、欲望への徹底した貢献と、需要側のノイズ回避欲求の完全な利害一致のことだと思いますが、共犯どころかすでに、需要層が製作側を完全に支配しているところまでいってるのかもしれませんね。私は需要者である自分をそういうところから一線を画す人間だと誇る気は毛頭ないですが、ツイッターのタイムラインを自分にとって心地よいものだけで満たそうとは思わないし、ノイズや未知のもの、表現に殴りつけられることへの欲求はもの凄く強いほうです。
    だから『けいおん!』も、少なくともビデオでは観てみるつもりです。

  12. HBWL
    2012年2月1日 at 2:25 AM

    Twitterのほうでフォローさせていただいているものです。
    細部で光る監督の感性を丁寧な分析を通してすくい上げながらも、所謂「処女厨」「萌えビジネス」のもつ根本的な欺瞞について舌鋒鋭く批判する、誠実な批評だと感じました。

    ただ、ひとつどうしても腑に落ちなかったのですが、なぜこの作品が「一部のアニメオタク」や「精神的に未熟な一部ファン」の欲望に対してリスクヘッジしているとおっしゃっているのに、支持される背景には「若い世代のコミュニケーション不全の問題」という、若い世代(というくくりもずいぶんと乱暴ですが)全体に通じるような理由があると思われるのでしょうか?

    本文で言及されているような若者の「可能な限り苦痛や苦労を取り除いたうえで、最大限に良い思いをひたすら味わいたいという願い」は、「カプセル人間」や「モラトリアム人間」論を筆頭に70年代から手を変え品を変え繰り返し言われていることで、随分と昔、それこそ現在のような美少女アニメ隆盛以前から「若者のコミュニケーション不全」は大人の懸念事だったようです。

  13. HBWL
    2012年2月1日 at 2:32 AM

    はたして「けいおん!」等の「透明人間化」した男性の視線を抱える美少女アニメの登場は一部ファンの閉じた世界への欲望を見出すことを許したとしても、若者全体の傾向まで暗示するほどの意味を持ちうるのでしょうか?私には「今の若者」という「異質な他者」に欲望の所在が丸投げされているようにしか思えません。むしろこれは先にコメントされている方が仰っているように、オタク文化論に近いものと感じました。

    現状認識については共感をおぼえますが、24回も見に行け、などというある程度の資力を前提としたキャンペーンがなされている作品について、支持の背景には「若い世代」があると言い切ってしまうのには、少し飛躍があるように思います。

    長文失礼致しました。

  14. 2012年2月1日 at 2:45 AM

    批評の批評さんへ。

    作品の「本質」というのは、いつでも「作中のキャラの関係性と心理描写」のような部分に限られると思いますか?
    作り手の事情やねらいは各々の作品で異なりますので、作品によって、注意して見るべき部分を変えていかなくてはならないはずです。

    今回の場合、作り手側が、「処女性を守った上で作劇をしなければならない」という縛りが、ドラマを不自然にがんじがらめにしているわけで、ドラマについて語るのならば、まずその「縛り」自体を指摘する必要があるわけです。
    ドラマ部分にこれが大きく影響しているならば、それを説明し、原因となった背景まで分析していくのは当たり前のことです。
    これが「本質」に迫るということです。

    大久保氏の評論は、このような「縛り」について、仮に知らないで書いてあるのだとすれば評論としては価値が低いですし、知っていてあえて無視しているのであれば不誠実ということになります。

    おそらく山田監督は、このようなコードを守りつつ作品を作らなければならないことについて、本意ではないはずなんです。
    私はそのあたりの作り手側の苦悩をあぶりだすような書き方もしているはずです。

  15. 2012年2月2日 at 12:25 AM

    hychk126さんへ。

    ご指摘いただいたように、私が「けいおん!」について書いた動機は、確かにそういった意味が大きくて、うまく要約していただいていると思います。
    同時に、スケープゴートとして「けいおん!」を持ち出している部分があることも認めます。他にももっとひどい作品は無数に存在するからです。

    ただ、新聞記事などでの監督の発言を見ると、「男性ファン向けだけの作品にはしたくなかった、原作の大きすぎる目を小さく描くなどの配慮をした」と言っていて、ある程度「オタク向け過ぎない」ものを作っているという自負とか誇りがあるらしいのですが…それはちょっと違うだろうというように思うわけです。
    それは美少女アニメの側からの論理であって、普遍的な目で見ると、本質的にはほぼ変わりないわけで、さらにいくつかのメディアでも、そのようなオタク向け商品から一線を画しているという論調は散見されました。
    そこで、このような曖昧な空気をハッキリとさせたい、本質的にはどうしても美少女アニメの範疇にあるだろう、というような指摘をしておきたかったというねらいもありました。

    >需要層が製作側を完全に支配しているところまでいってる
    というのは、私の書き方よりも的確な状況説明かもしれません。
    もちろん、そのような土壌から傑作が必ず生まれないということはないと思いますが、少なくとも個人的には「けいおん!」はそういうものではなかったですし、巨視的には、業界が確実に悪化してきている実感はどんどん強くなっています。

  16. 2012年2月2日 at 12:29 AM

    HBWLさんへ。

    「今の若者」と一般化して語るのは、確かに行き過ぎていたかもしれません。もちろん、その中には「けいおん!」に興味の無い人たちは多いでしょうし、社会的に弱い立場にある人が、必ずしも「けいおん!」的なものを求めるというわけではないと思います。女学生のファンも存在するようですしね。
    その点、言葉が足りなかったと思います。

    あくまで、ここで書いた日本の若者の置かれている状況は、大きな支持要因のひとつであるというようにとらえていただければと思います。

    また、「若者のコミュニケーション不全」は、確かに昔からあると思います。
    ここで問題にしているのは、作り手側までが共犯的に、または要請されて、そのピッタリな受け皿になるようなものを、極めて戦略的にリサーチし、用意しているということなんです。
    そういう作品づくりが、普遍的表現からどんどんはずれていくような病的な進化を、現在進行形で遂げている、ということへの懸念です。

    視聴者の欲望に対して、都合よく歪められた世界観の作品では、本当に感動させるような表現をするのは非常に困難ですよね。

  17. Helter Skelter
    2012年2月2日 at 2:45 AM

    A「お前なんかに俺の何がわかるってんだよ!」
    B「馬鹿野郎!甘ったれたこと言ってんじゃねえよ!」
    ・・・青春ドラマとやらに、いかにもありそうなシーンである。が、さて、実際に青春時代を過ごして来たであろう人々に問いたい。
    こんな台詞を実際に吐いたことが一度でもあるのだろうか?少なくとも自分には覚えがない。
    仮に、凡百の青春ドラマの如く「熱い青春」を送った奴が居たとして、果たして、24時間365日斯くの如き日々だったのだろうか?
    そんなわけはない。現実は、もっと散文的で、大半は、なんでもない時間として過ぎ去ったはずだ。
    然るに、大半の青春ドラマというものは、リアルの青春から、ドラマチックな部分だけを抜き出して、強調して、作り上げている。
    要は「都合の悪いリアルはオミットする」という姿勢は、どの作品であっても存在するわけだ。
    オミットした結果、韻文的な部分を強調して描けば、「青春の苦悩を描いた素晴らし作品だ」と是として、
    けいおん!のように、散文的な部分を強調して描けば、「中身が無い。キャラ萌えだけだ」と否定する。なんとも奇妙な話だ。
    そのような見方をする人というのは、「青春とは斯くあるべし」というステレオタイプに嵌って、視野が狭窄しているのではなかろうか?

    そもそも、貴兄の評は、けいおん!をオタク男子だけが観てるものであるという思い込みが背景にあるとも思える。
    なんの雑誌だったか忘れたが、実のところ、けいおん!は、20代や30代のオタク青年男子だけでなく、
    中高生の、しかも女性にもファンが多いとの調査結果があった。ファン層の4割弱は女性であるとの数字も出ていた。
    実際、自分が12月中に劇場に足を運んだ際には、中高生くらいの、しかも女性が結構な割合で客席を埋めていた。
    また、興行収入を動員数で割った客単価も1300円前後であり、これも、オタク青年などより、もっと若年層が多いことを示している。
    にも関わらず、この評は、「しょせんはオタク向け美少女アニメに過ぎない」という思い込みから一歩も出ないものである。

    声優スキャンダルにまで触れて、処女信仰ガー、などと語ってはいるが、もしその見解が正しいのなら、
    なぜ、スキャンダルが発覚したにも関わらず、16億もの興行収入を上げる作品となったのだろうか?
    けいおん!ファン=処女信仰のオタク男、であるなら、スキャンダルに幻滅して離れてしまうファンが大量発生してないとおかしい。
    それとも、スキャンダル発覚がなければ、ジブリ級の興行収入でも上げられたのだろうか?そんなわけはない。
    実際のところ、スキャンダルの影響などほとんど出ていないし、そもそも、声優叩きを行ってたのは「幻滅したファン」なのではなく、
    ただの愉快犯的な連中、いわゆる「アンチ」や「対立厨」である。それが証拠に、「幻滅した!」「裏切られた!」などと吠えてた連中は、
    まるで判で押したかのように、まったく同じことを彼方此方に書き連ねていた。
    本当に、それ以前はファンだった人物が、スキャンダルに幻滅したのであれば、全員が同じリアクションを起こすのは不自然。
    叩くにせよ嘆くにせよ、もっと「自分の言葉」で語ってないとおかしいが、それがまるでなかった。
    即ち、この評における、声優スキャンダル云々の下りは、前提自体がそもそも存在していないのだ。

    貴兄の評は、作品と真正面から向き合ってのものとは思えない。
    映画けいおん!に詰め込まれた作り手の想いというものを汲み取れていないにも程がある。
    ヒントを2つほど書いておく。「梓はなぜ海外旅行に新しい靴で来たのか?」
    「ラストシーンはなぜ(原作とは逆方向の)右側に向かって走るのか?」
    この辺りの含意に気付かないようでは、「見る目が無い」と言わざるを得ない。

  18. 2012年2月2日 at 2:59 AM

    Helter Skelterさんへ。

    まず、あなたの言われているような青春ドラマが具体的に何なのかは分かりかねますが、本文において、他の青春ドラマと比較してそちらの方が素晴らしいとは言っていないですよ。
    それと私は、オミット自体がいけないとも言っていないはずです。
    問題は、オミットの原因にあって、それが「キャラ萌え」だということ、視聴者の幼児的欲望に安易に応えたものなので、ドラマとしての普遍性に乏しいということを言っています。

    >散文的な部分を強調して描けば、「中身が無い。キャラ萌えだけだ」と否定する。

    これは逆です。「キャラ萌え」が原因で散文的になっている(原作も同様ですが)ことが問題なんです。

    「女性にもファンが多い」ということですが、それがどのくらいなのか、こちらにデータがないので分かりかねますが、少なくとも、恋愛を描けない事情が「キャラ萌え」にあることは、どうしたって否定できない事実でしょう。
    監督が、「男子向けだけにしたくない」と、女子向けの要素をいろいろと添加していることは知っています。
    ただそれが普遍性の獲得までには至っていないことは、本文で説明しているはずですので、ご納得いただけなければそれまででしょう。

    声優スキャンダルの反応に関しては、本文の中で、「一部ファン」と書いてあるはずで、異常心理の例のひとつとして挙げたものです。
    それを全部のように受け取られているのは誤読です。

    最後の「ヒント」についてですが、私はそのあたりの描写を、この作品を評するにあたり重要な部分とは考えておりません。
    それが極めて重要だと思われるならば、あなた自身でブログ等にまとめ発表すべきところでしょう。

  19. A
    2012年2月2日 at 4:09 AM

    はじめまして。初めてカキコさせていただきます。

    氏の論評や大久保氏やここのコメント欄での議論も
    所謂『日常もの』がブームになった頃から
    アニメ界界隈では繰り返されてきた議論なので正直今更感があります。

    貴方は芸術性を持たない作品は認められないというお考えなのでしょうが
    私はすべての映画やアニメが芸術性を持つべきだとは考えません。
    けいおん!のようなプログラムピクチャーは存在していいと思うし
    そういうものがヒットする世の中がダメとも思いません。
    商業主義の否定はジャンルの衰退を招きますよ。

    あと、原作の事にも触れてくれればもっと面白かったんですけどね。
    けいおん!だって原作モノなんだから
    そこに触れない事は評論として不完全だと思うのですが。
    そもそも氏が批判している恋愛排除の作品世界を作ったのは
    山田監督ではなくかきふらい氏なのだが
    そこを無視してアニメスタッフを糾弾することはアンフェアだと思います。

  20. k
    2012年2月2日 at 5:25 AM

    はじめまして。批評読ませていただきました。
    映画けいおんの批評と題されていますが、映画けいおんそのものに対してほとんど触れられていないのが気になりました。
    貴方のおっしゃっていることは映画批評というより、けいおんという作品、ひいては萌えアニメという分野に対する批判なのでは?
    これでは単に映画けいおんはスケープゴートとして選ばれただけのように見えます。
    貴方がいわゆる萌えを主軸にしたキャラクターありきの作品を作品として認めたくないという気持ちはよく伝わりました。
    貴方のおっしゃっていることには納得できる部分も多く、一理あると思います。しかしながら、映画けいおんと銘打っておきながら、散々と萌えアニメ批判を書き連ね、その集約として、いまさら語るまでもないだろうといわんばかりに映画けいおんは作品には値しないただのオタクの為の商品である、と結論づけているところを見ると、できるかぎりフェアな姿勢で作品と向き合って自分なりの批評をまとめた、というよりは結論ありきで作品を見て批評を書いた、傲慢な印象があります。
    それともうひとつ
    大小の影響はあれど、声優スキャンダルなどは作品の出来そのものと直接関係はありません。前述したようにこれが萌えアニメやそれらを支持しているオタク文化への批判であればひとつの事例として適当でしょうが、この批評文を映画けいおんに対するものである、とするのであれば、批評の価値を貶めるだけの余計な記述であるとわたしは思います。

  21. 2012年2月2日 at 6:06 AM

    Aさん、コメントありがとうございます。

    繰り返されてきたというのは、確かにそうですね。ただ状況が変わらない限り、同じような議論も尽きないのではないでしょうか。
    今まで言い尽くされてきたから、その後の作品がその問題から逃れられるわけではないと思いますし…。

    よく読んでいただきたいのですが、あっても良いものとして、「けいおん!」を認めていますよ。
    ただ、それは商品としてであって、芸術作品としての価値は薄いということなんです。
    なので、Aさんのおっしゃられていることと矛盾はしませんし、商品やビジネスとして、堂々と誇ればいいと思います。

    それと、アニメスタッフを糾弾はしてないはずです。
    監督の良い部分も、作画・動画スタッフの頑張りも文中で認めています。

    原作についてですが、京都アニメーション自身がキャラ萌え漫画の「けいおん!」のアニメ化を選択しているんじゃないですか?監督がそれについてどう思ったのかは分かりませんが。
    文中で例に出した、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』も原作ものですよね。
    「けいおん!」も、映画版オリジナル・ストーリーで臨んでるはずですから、やろうと思えば、原作と全然違うものを作れなくも無いはずなんです。
    ただ、現実それが非常に難しいのは、もし監督がそういうものを望んでるとして、社内でのパワーなんかもあるのでしょうが、やはり商業的な事情に縛られているからでしょう。
    だからそういう状況そのものに問題がある、引いては、それはアニメ業界そのものの問題であり、需要層の問題でもあると言っているのです。

  22. 2012年2月2日 at 6:24 AM

    kさん、コメントありがとうございます。

    おっしゃられている通りで、全体の分量からすると、『映画 けいおん!』そのものに関する記述は少ないかもしれませんね。

    ご理解いただきたいのは、TV版に準じた内容の『映画 けいおん!』を説明する際に、TV版の世界観をまず説明しなければならず、その世界観を説明するには、現在の日本のアニメ界の問題を説明しなければならず、それを説明するには、需要層の問題を説明しなければならなかったので、映画外に関する記述が多くなってしまったんです。
    とくに「けいおん!」のような特殊なルールで縛られた作品は、そこまで言わないと、日本のアニメ事情に通じている方以外には説明不足になってしまうと思った次第です。
    声優スキャンダルについての記述は、需要層の実態の一部を説明するときに、声優も商品として処女性の責任を担わされているケースがあるという事実に触れておきたかったということです。

    「結論ありきで作品を見て…」というのは心外です。
    大久保清朗氏は、「観る前から応援すると決めていた」そうですが、私は、ある程度?のバイアスは持って臨みましたが、良い作品だと思ったら、さすがに褒めますよ。
    以前、幾原監督の『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』を、何の予備知識も無く、商業的なオタクアニメのひとつだと思って鑑賞したのですが、ものすごい傑作で、足腰が立たなくなりそうなぐらいのインパクトを受けたことを覚えています。
    私のような観客の心にも、ズシリと訴えかけるものがあったわけです。

  23. 右足
    2012年2月2日 at 8:10 AM

    はじめまして。私はこの作品の楽観的ないちファンですが、おっしゃるところの“彼女達は恋愛感情をほとんど持たされず[…]無意識的にハーレムの中心たる王へ奉仕させられているのだ”にはハッとさせられました。

    しかし、そのような価値観のもとにおいて“真の意味において作家性や芸術性が生まれることはない”という主張には頷けない部分があります。

    たとえば宗教画は、作者が心の底から神を信仰していたにせよ、宗教家に売り付けることだけを念頭に置いていたにせよ、神あるいは神聖なるものを賛美する価値観のもとに描かれています。それを、無神論的な「神など存在しない」という見地からもって“真の”作家性や芸術性がないと断じ、一様に切って捨てることはできないと思います。

    言い換えれば、(男性の)性欲にあてがうために作られたガイノイドであっても、その造形が精緻を極めるなり、デザイナーの情熱が注ぎ込まれるなりすれば、芸術性が生まれうるのではないか、ということです。

    そもそも、本劇場作品においては(視聴者の暗黙なる要請にせよ)男性との恋愛はメインテーマに据えられていません。テレビシリーズやグッズの商品展開においてキャラクターの処女性が偏重されていること、いわゆるオタクがそれを重視していることと、劇場版で描かれたテーマや作品価値については分けて語られるべきでしょう。純愛実写映画の出来を、主演俳優の不倫スキャンダルと繋げて語るべきではないのと同じように。

    k.onodera さんは、『新世紀エヴァンゲリオン』ほか2作品について、アニメでありながらアニメの価値観を破壊し、“現実への風穴を開け”ている点を評価されていますね。私は、この作品がアニメ的表現を突き詰めた結果、どこか虚構性に穴を開けて、現実の自分に(自身の高校時代への郷愁や、日々を生きることの楽しさの共起に)繋がったと感じました。不特定多数の観客がそのような見方に至るのであれば(本作は女子中高生にも人気だと聞き及びます)、ある種普遍的な価値を認めてもいいのではないでしょうか。

    蛇足ながら、律はおっしゃるとおりロックに詳しくないかもしれませんが、ドラムの演奏を心から楽しみ、放課後ティータイムという居場所を愛しているという描写がなされています。それは他の部員についても同様です。音楽が開いた“新しい豊かな世界への扉”は、武道館などの商業的なステージではなく、平凡な日々に隠れたきらめきをいっそう身近に感じられる場所へと繋がっており、それは作中のキャラクターだけではなく視聴者をも導いてくれるものだったと考えています。

  24. 2012年2月2日 at 10:24 AM

    右足さん、コメントありがとうございます。

    宗教画と言っても、レベルは様々あるわけですよね。
    そういうものを峻別し、ひとつひとつの作品について、芸術性が高いか低いかを判断していく。そして、その理由を明らかにしていくというのが、批評の役割であると考えます。

    私は絵画史の勉強をしていたので、それなりに宗教画について詳しいですが、宗教画を判断する際にも、やはり商業性は問題になります。
    画家が描くときに、依頼者が逐一描き方の指示を細かく出してきたらどうでしょうか。そして、それを画家がその通りに描いてしまったらどうなるでしょうか。

    実際問題、映画やアニメーションにおいて商業性は切っても切れないものですので、その上で作家はものを作らねばなりません。
    本文中でも言っていますが、そのようなものでも、利害を離れた、商業とは別の部分を描くことは可能であるはずで、商業的でありながら芸術性を持ち得た作品例を挙げています。
    ですから、ガイノイドは商業性そのものだと思いますが、そこに普遍的視点で、芸術性を盛り込むというということは可能なのです。
    引用していただいた部分をよく読んでみてください。

    ”この価値観をどこかで否定する部分が無い限り、「けいおん!」から、真の意味において作家性や芸術性が生まれることはない”

    「この価値観」は商業性に根ざしたものであり、そこから離れた表現があれば、「けいおん!」に芸術性が生まれるかもしれない可能性を示唆できていると思います。
    『映画 けいおん!』は、そこが希薄だという判断をしています。

    また律についてですが、言葉が足りなかったかもしれませんが、武道館ライブを画策するくらい音楽に興味がある、そして劇中でそれなりに音楽に詳しいという演出がされているにも関わらず、それを表現できていないということが批判の趣旨でした。
    また、音楽が趣味の範疇に収まるのならば、「新しい豊かな世界への扉」という表現までには至らないと思います。
    だからもう、何の部活をやってもそれほど変わらないと言っています。

    「けいおん!」の世界が、果たして「虚構性に穴を開け」得ているか、ということについては、右足さんがご自分の高校時代への郷愁を感じていることまでを否定しませんが、私はそれが虚構の延長線上にある、現実とは一線を画すものと判断しています。

  25. 夏葉薫
    2012年2月2日 at 10:24 AM

    はじめまして。
    映画『けいおん!』批評、拝読しました。
    スタンダードな萌えアニメジャンルに対する批判として、過不足なくまとまっているかと感じました。ただし、そのようなジャンル全体の問題を論じることが目の前のひとつの作品と向き合うこととどのように関係しうるのかは気になるところですが、そこはこのコメント欄で他の方が既に指摘されておられますので重ねて申し上げることはいたしません。

    が、事実関係について、いくつか気になる点がありましたので、それをご指摘さしあげたく、コメントさせていただいております。

    『かんなぎ』の連載休止は当時から単に作者の体調不良によるものだと発表されておりますし、それを覆すような明確なソースは発表されてはいないものと記憶しております。無論、そのような真相が伏せられているだけであるのだと仮にしても、記事中での書きぶりは行き過ぎのように思われます。
    ナギ様中古騒動のような事件が起きなくとも、アニメ化は原作者に対し心身双方に大きな負担となるものであり、武梨えり氏がその負担にたまたま耐えかねたのだとしても何の不思議もありません。

    また、『けいおん!』の恋愛要素に関して申しますと、顧問の山中さわ子はその当時好きだった男性に合わせてバンドを始め、教師への道を歩んだのも別の男性の気を引きたかったからだと設定されています。クリスマス当日に彼氏にふられたというエピソードもあり、恋愛要素はとりわけさわ子に於いては排除されていないと考えるべきです。

    このような見落とし、それを招く態度を敷衍して考える……というような意地悪は申さぬこととしますが、この批評は事実関係の確認に関していくつか危うい点があり、それに関しては修正するのが誠実な言論活動というものではないかと愚考いたします。
    ご一考いただければ幸いです。

  26. 2012年2月2日 at 11:00 AM

    夏葉薫さんへ。

    事実関係のご指摘、ありがとうございます。
    「かんなぎ」については、休載理由の事実関係まで裏取りをしていません。
    騒動が引き金になった可能性は高いですが、誤った情報の可能性もあるということを認め、不確定情報を書いたことにつきましては謝罪させていただきます。

    また、顧問の山中さわ子先生についてのみ、確かに設定上恋愛要素が排除されていはいないですね。

  27. SN
    2012年2月2日 at 11:20 AM

    ざっと読ませていただきましたが、この批評では誠実に作品と向き合ってるとはとても思えませんでした。
    表面的、もしくはメタ的な部分しか目をつけず、本質的な部分に触れようとしていないのはむしろあなたの方では?
    真摯な態度でこの作品と向き合えば内容やメッセージがないなんて意見は出てこないと思います。
    エンディング映像を始め各所での演出、キャラクター達の細やかな言動にまで焦点を当てれば、自ずとこの作品が何を描き、伝えようとしているかは分かると思います。
    そして、この作品において恋愛要素がさして重要ではない事も。
    そういったところを考察どころか見ようともしないのは何故ですか?
    恋愛を禁じているという指摘もさわ子や、その旧友の恋愛描写を踏まえれば、的外れも甚だしいですよね?
    そもそも処女性だの需要層だのは作品の本質とは無関係であるし、声優スキャンダルが作品人気に影響を与えなかった事、
    ファン層に女性が決して少なくないという事実はあなたの批評が見当はずれであることの証左だと思います。
    けいおんがハーレム物の延長だという論も酷いこじ付けだと思います。
    けいおんがテレビシリーズから描き続けてきたのは主人公達との成長と絆であり、そのキャラクター描写の丁寧さは私が今まで見てきたアニメの中でも優れたものであると評価しています。
    それは確かに視聴者が彼女達の生活を覗き見しているといえるわけですが、
    だからといって彼女達が視聴者に奉仕しているとするのはこじつけでは?
    そういったところに一切触れずに殊更に恋愛描写の有無にこだわるのは何故でしょう?
    日常描写の不自然さを指摘するのならその前に親の不在を指摘するべきでは?
    女性同士の絆や友情、コミュニケーションに価値を認めないとでも言うのでしょうか?
    男女関係ばかりにしか思考がいかないのなら、それこそ男尊女卑的な考え方だと思いますよ。

    それと最後に気になったのですが記事中で使用されている映画本編の画像はどう入手し、誰の許可を得て掲載しているのか是非教えていただけないでしょうか。

  28. 2012年2月2日 at 11:59 AM

    SNさん、コメントありがとうございます。

    「ざっと読ませていただきましたが」とおっしゃられていますが、SNさんの言われていることのいくつかは、本文で主張しており、コメント欄ですでに何回か答えておりますので、目を通されるようお願いいたします。
    恐縮ですが、その上でもう一度疑問点がございましたら、ご質問いただければと思います。

    それと、SNさんは、本気で「処女性の防衛」の意識が作り手側に無いと思っておられるのですか?
    さわ子や旧友の恋愛…とおっしゃいますが、ではキャラクター・ビジネスの主軸である主要登場人物の恋愛を描かない理由についてはどう思いますか?

    また、「恋愛描写の有無にこだわる」おっしゃっていますが、本文に書いたとおり、「恋愛をテーマにしていないからそれを描いていないのでもなく、恋愛や性的な部分を非常に意識しなければ価値を保てないからこそ、それを本来の意味において描くことができないでいる」と説明しているはずです。
    作り手側や需要層がこだわっているので、私もこだわらざるを得ないのです。そこを無視しては、この作品を語ることはできないと思います。

    それから、男尊女卑や、女性の絆に価値を認めないような発言は文中に無いと思います。
    どの部分がそれに該当するのかご指摘ください。

    映画本編の画像の件については、著作権は松竹、TBS、京都アニメーションなどに帰属するものと思います。関係各社から指摘がありましたらこちらで対応する所存です。それはSNさんには関係の無い話だと思います。

  29. SN
    2012年2月2日 at 12:22 PM

    処女性だとかはっきり言ってどうでもいいんです。
    重要だとは思いません。
    けいおんが描いているテーマは仲間たちとの絆と成長だと思います。
    逆に聞きますがあなたはそう受け取れなかったんですか?
    それとも意図的にそこを無視しているのですか?
    作品の主題を無視した語りなどとても批評と呼べる代物ではないと思います。
    むしろ処女性だとか言うものにこだわっているのは他ならぬあなたでしょう。
    だからこそ、この作品がどれだけ人間関係や個々の心情を丁寧に描いているかが目に入らないのではないですか?
    どうしてそこを触れようともしないのでしょうか?
    そこが私の一番の疑問です。
    あなたは、この作品での互いを思いやる気持ちや、先輩の取り残される後輩への想いは無価値なものである、
    なぜならこのキャラクター達には恋愛や性的描写がされていないからだ、とでもいうのでしょうか?

  30. 2012年2月2日 at 1:23 PM

    SNさんへ。

    仲間たちとの絆などを一応のテーマとして設定しているのは分かっておりますが、それがドラマとして普遍性を帯びるために、処女性云々の縛りが障害になってると言っているのです。
    つまり、とりあえず規定してあるテーマよりもキャラ萌えを重視していると読んだので、そこを批判しているわけです。
    キャラ萌えのために、少女たちの人間性がスポイルされ、それがドラマに影響しているような状態で、絆がどうとか言われても共感できません。

  31. SN
    2012年2月2日 at 2:30 PM

    つまり、あなたは男性に興味を抱かず、部活や友人と遊ぶ事に現をぬかす女子高生は人間性に乏しいとおっしゃるわけですね?
    よーく分かりましたよ、あなたがどれだけ女子高生をバカにしているかが。
    そのような方にこの作品のまともな批評を期待する事など土台無理でしたね。

  32. 2012年2月2日 at 3:23 PM

    SNさん、そんなこと言ってないですよ…。
    女子高生を扱った作品に、必ず恋愛描写が必要である訳などありません。
    本文中にも書いてありますが、「けいおん!」は女子高生の性的部分を魅力として扱っているような作品なんです。
    それは作り手側も意識して(しかし下品になり過ぎないように調整して)商業性を維持しているはずです。
    それなのに、恋愛を描けないという縛りの中作劇されているという点に欺瞞があるのです。

  33. SN
    2012年2月2日 at 3:35 PM

    意味が分からないですよ。
    性的魅力を持つキャラクターは恋愛しなければならないという事ですか?
    必ずしも恋愛描写が必要ではないとご自身が認められるなら、
    それは同時に恋愛を描けないというのは必ずしも作劇上の縛りになりえない、という事と同義でしょう。
    そろそろ欺瞞を持っているのはあなた自身だという事に気づいたらどうですか?

  34. 2012年2月2日 at 4:02 PM

    SNさんへ。
    「けいおん!」は性的な部分を、商業的に需要層に提供している作品
    (このことは認めますよね?)にも関わらず、恋愛を描いていない…このことから導き出されるのが、処女信仰でありハーレムだというのが論旨です。

  35. SN
    2012年2月2日 at 4:56 PM

    仮にそうだとして、それが放課後ティータイムやその友人達との絆を作劇することにおいてなんの不都合があると言うのですか?
    それによって彼女達の言動と心情が無価値なものになるとでもおっしゃるのですか?

  36. 2012年2月2日 at 5:23 PM

    完全に無価値であるとまでは言いません。しかし、商品であろうとする意識が強いということです。

  37. SN
    2012年2月3日 at 12:23 AM

    では、何故作品としての面をまともに取り上げず、商業的な側面のみ取り上げるのですか?
    はっきり言って悪意以外の何ものでもありませんよね?
    あなたが何にコンプレックスを感じ、誰に対抗意識を燃やそうが知った事ではありません。
    ですがあなたのその浅ましい承認欲求のために作品を利用しないで下さい、汚らわしい。

  38. 2012年2月3日 at 12:34 AM

    >何故作品としての面をまともに取り上げず、商業的な側面のみ取り上げるのか

    さきほど説明しているはずです。
    規定してあるテーマよりもキャラ萌えを「重視」している(しなければならないような状況に追い込まれている)と読んだので、そこを批判しているわけです。
    そこがテーマよりも特異で、ドラマに対する影響が強いと読んだので、その部分に注力し記述したということです。

    罵倒を交えながらですと、議論が感情的になり過ぎるので、お控えいただけると幸いです。

  39. SN
    2012年2月3日 at 1:00 AM

    山田監督を始めけいおんを製作された方々は作品に対して非常に真摯でキャラクターを本気で愛していらっしゃいます。
    私も各種インタビューやコメンタリー、舞台挨拶でそれを実感しました。
    おそらく大久保氏も同様であったと想います。
    スタッフの方々はキャラクターを愛してるからこそ極限まで魅力的に可愛く描こうとしているのでしょう。
    そして、その愛情こそがけいおんという作品をここまで押し上げた何よりの原動力だと理解しています。
    キャラ萌えは製作者様たちの作品とキャラクターに対する誠実さの現れです。
    賞賛されこそすれ、批判されるべき部分ではないはずです。
    なにより、質の高い萌えはそのままキャラクターの魅力の高さを意味し、ひいては作品の質の向上に繋がると思いますが。

  40. 2012年2月3日 at 1:47 AM

    SNさんへ。

    スタッフの個別の努力や、監督の感性を、私はささやかにではありますが、文中で称えている部分もありますよ。
    ただ、制作する環境(需要層や行き過ぎた商業性に由来する縛り等)が大きく影響して、結果的に普遍性から離れたものになってしまうということなんです(しかし、それにキチンと従い過ぎてしまったのは、ほかならぬ監督でもあります)。
    文中で長々とアニメーション業界や需要層のことを書いているのは、作り手側がそういう環境に置かれていたという状況を説明するためという意味も強いです。

    キャラ萌えは、確かに「商業的」には誠実さの表れだと思います。
    そして確かに、商業作品としての質の向上に繋がるでしょう。
    私はそれを否定してはいません。

  41. SN
    2012年2月3日 at 1:58 AM

    だから、さっきから聞いてるんですがその縛りとは何なのですか?
    処女性?商業性?恋愛、性描写の欠如?
    それがけいおんの放課後ティータイムの絆を描く上でどんな障害になるのですか?
    むしろ、下手にそんなもの入れてもテーマがぶれかねないだけじゃないですか?
    男性不在の女性同士の馴れ合いなど無価値とでも言わんばかりの思考が非常に不愉快です。

  42. 2012年2月3日 at 2:07 AM

    SNさん、「縛り」については本文で説明しております。いちから何度も説明したくありません。

    作劇において、登場人物の造形や行動にリアリティを持たせることは非常に重要です。
    そこにキャラ萌えの要素が添加されることで、人物や行動ひとつひとつのリアリティが欠如するんです。
    だからドラマやテーマがスポイルされてしまっていると主張しています。

    こちらはできるだけ誠実に答えているつもりですが、先ほどからそのような物言いをされますとこちらも疲弊しますし、失礼ですがあまり有意義な議論になっていないと感じます。

  43. SN
    2012年2月3日 at 2:25 AM

    分かりました、もういいです。
    つまりあなたは女子高生が男性に興味を持たず、部活や遊びに精を出すなどありえないと考えているわけですね?
    とんだ男根主義者でいらっしゃるんですね。

  44. 2012年2月3日 at 3:41 AM

    先ほどからの挑発的言動もそうですが、キャラ萌えに対する見解があまりに違いすぎることと、何度も答えている説明を無視されているという点で、議論の意味が無いと思います。

  45. 2012年2月3日 at 5:00 PM

    はじめまして。
    いつも新しい記事を楽しみに読んでいます。
    実は一度コメントもしております(成瀬の『稲妻』……)。
    確か『忘八武士道』のことを調べていたときにonoderaさんのブログに出会いまして、『ブラック・ダリア』の記事を読んだおかげでブライアン・デ・パルマにドハマりましたし、他にも多大な影響を受けました。
    ツイッターもこっそり見ております(自分はアカウント作っていないので)。
    さて今回の『映画 けいおん!』評ですが、盛り上がってる(?)のに便乗して僭越ながらコメントさせていただきます。
    スケープゴートという言葉が何度か出ていますが、私の思うところでは、『けいおん!』というアニメは“萌えアニメ”というジャンルに属するものでありながら、いわゆる“萌えヲタ”だけにでなく、より広く一般の男女若者層(といってもサブカル好きの文系のティーンといった感じでしょうか)にウケたアニメである、という認識です。
    いくつもの要因があると思いますが、なので萌えアニメの代表でありながら、大分特殊で、やっぱりただのオタクアニメではなく、その辺で何かonoderaさんの論と反対論とがかみ合わないことに繋がっているような気がします。
    しかもテレビ第一期がそういうウケかたをしたことで、作り手のほうの構えや意識も第二期及び映画では変わってきて、すごくややこしいことになっていると思います。
    それでいてやっぱり萌えアニメのエースであるので、『けいおん!』というアニメを論じる場合は今回の評で論じられた容量よりももっと非常にややこしいことになってしかるべきなのではないかなあという気がします。
    変な文章ですみません。
    ただ、onoderaさんの評は頷きながらも何か心底共感はできず、宇多丸さんのシネマハスラーの『けいおん!』評などは(聴かれました?)聴いていて「うんうんそうそう!」となってしまうのは、やはり麻痺してしまっているのでしょうか(笑)。

    ちなみに私自身としては『けいおん!』、テレビシリーズは大好きですが映画はクソだった、というスタンスです。
    第一、笑いの要素が物凄くつまらなかったです(テレビでは概ね面白かった)。
    それでも終わりが良ければまあ文句はない、と観ていたら結局第二期の蛇足の域を出ておらず、いくら“何も起きない”っつったってそれはちょっと……という感じでガッカリして劇場をあとにしました。

    それでは、ブラッド・バード『ゴースト・プロトコル』評、楽しみにしています。

  46. りっちゃん隊員
    2012年2月3日 at 6:21 PM

    はじめまして。
    映画けいおん!もTVアニメのけいおん!!も大好きな男子高校生です。
    長い文章なので、三度、繰り返して拝読させていただきましたが、k.onodera様の主張は、「商業的にいくら成功した作品だとしても、そこに普遍的な価値観や芸術性がなければ意味が無い」という理解でよろしいでしょうか?そして、その代表的な作品がけいおん!であるというのであれば、僕にとって、こんなに悲しいことはありません。

  47. 2012年2月3日 at 7:21 PM

    み さん、覚えておりますよ。
    いつも読んでいただいていたんですね、光栄です。ありがとうございます。

    >いわゆる“萌えヲタ”だけにでなく、より広く一般の男女若者層(といってもサブカル好きの文系のティーンといった感じでしょうか)にウケたアニメである、という認識です。

    ここら辺は、男女別統計のデータを持っていないので、私からはなんとも言えません。
    ただ、そこがそんなに重要でないと私が感じるのは、あくまでそれは結果であって、もともと第一期が美少女アニメの作法に従った土台に、山田監督のガーリーな感覚を糊塗したものだというのは間違いの無いものだと思いますし、第二期に入って、より女性の層を獲得するために、目を小さく描いてみたり、できるだけ男性オタク向けからシフトチェンジしようとした跡が見られることは認めるところですが、それはどうしたって対症療法的なものに過ぎないと思います。
    一期も二期も映画版も、作り手側が思っているほどには変わっていないのではないでしょうか。
    土台がキャラ萌えであれば、どうしたってそこを指摘せざるを得ないと思います。

    私は、反対論とかみ合わない理由が他にもあると思っていて、それはアニメが「商品」として優れていればそれで良いと思ってる人との価値観の違いかと思います。
    でも、それはそれで間違いではないと思います。映画も、商品として優れているか否かを判断するような評というのは、あっていいと思います。
    宇多丸さんの評は、その辺の線引きが少し整理されていないので、『けいおん!』や『サマーウォーズ』などを高く評価されてしまうのかな、と想像しております。
    私は、最良のアニメーションは、最良の映画に打ち勝つと思っているくらい、アニメーションに期待していますし、要求するものは高いです。
    それを観て人生観が全く変わったりするようなポテンシャルが作品内に無ければ、私は満足できません。
    文中で出した好例や、例えば、去年公開されたアニメーション映画『緑子/MIDORI-KO』などを観ていただければ、そういうものを感じ取っていただけるのではないかなと思います。

    いろいろとお気遣いありがとうございます。

  48. 2012年2月3日 at 8:03 PM

    りっちゃん隊員さん、長い文章をそんなに読んでいただいてありがとうございます。

    私の理解としては、その通りで良いと思います…。
    ただ、芸術性の無い代表的な作品とまでは言いません。私が良くないと思っているアニメはもっといっぱいあります。
    「けいおん!」は、女性層にも受けるような一般的な感覚がまだあるので、美少女アニメの中では良い方です。

    ただ、りっちゃん隊員さんは、私の価値観を受け入れる義務は無いはずですから、悲しむことないと思いますよ。

  49. ゆう
    2012年2月4日 at 3:21 PM

    はじめましてk.onoderaさん!
    トゥゲッターの大久保清朗氏との論争の記事から読ませていただきました。

    僕は映画評論を読むのは初めてでしたし「けいおん!」の映画をちゃんと見ていないので内容どうこうについて言う権利はありませんが、k.onoderaさんの「萌え文化」に対する感じ方にはすごく同調しました。

    ただ、やはりそういうもの(「非処女信仰」や「ロボトミー少女」)が今や一大産業となるまでに多くの人に受け入れられているというのも事実ですし、作り手側の人間としても無視できない側面もあると思います。

    また、恋愛感情を持たない「ロボトミー少女」として描かれているキャラクターの中にも作品全体のテーマや物語の志向性を重視したためにそうのような描かれ方をされてしまっているケースもあると思います。(このようなことはk.onoderaさんはわざわざ言われなくてもわかっておいでだと思いますが・・・)

    また、評論を読んでいてk.onoderaさんが「萌え文化」を毛嫌いしている印象を受けたのですが(間違っていたら申し訳ありません。)僕は本来「萌え」とは記号的なものではなくひとつひとつのしぐさや行動に宿るひどく人間的な魅力だと思っています。
    (もちろん、最近ではただの記号と化してしまっている場合もあります。)

    理解力が乏しい上に何を言いたいのかわからないコメントになってしまいましたが、ご一読いただければ光栄です。

    またk.onoderaさんの他の映画評論も楽しく読ませていただきました、
    ここでお礼を申し上げたいと思います。

    今後の更なるご活躍を祈っております。

  50. 2012年2月4日 at 5:21 PM

    ゆうさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    美少女アニメというジャンルにいる以上、作り手がその価値観に振り回されるのはしょうがないことではありますよね。
    それは認めますし、そのことでの苦労や不本意な思いというのはあると思います(嬉々としてやっている人も多くて、そうなると作品としてさらに深刻なことになると思います)。
    でもその上で芸術性を持つことは、難しいですが不可能ではないと思っていて、実際に本文などで取り上げている他のアニメ映画はそれができていますので、もしまだ観ていない作品がありましたらお薦めです。

    「萌え」の定義は人によって違うと思いますので、説明しづらいのですが、言われているようなしぐさや行動が、どのような価値観に根ざしたものなのかが重要なのではないかと思います。
    彼女たちの日常って、どうしてもアイドルがカメラの前だけで見せる態度の範疇を抜け出せていません。
    だから、女子高生の、生の人間としての感覚が欠如しているのだと思います。
    本文で「一次情報を取り込み、真の表現に近づく」というのが重要だと言っているのはそういう意味です。
    『千と千尋の神隠し』では、宮崎監督の徹底取材が実って、いくつもの場面でリアリスティックな表現ができていると思います。

    他の記事も読んでいただいて光栄です。ありがとうございます。

  51. HBK
    2012年2月5日 at 12:21 AM

    はじめまして。私はアニメオタクですが記事を読ませて頂きました。要するにキャラクターを重視していてストーリーをないがしろにしている、そのことが商品化につながっている、ということでよろしいですか?もしそうであるならば確かにおっしゃっている通りだと思います。
    ですが例えばけいおんに武道館という目標があるという設定があった場合、けいおんを商品とみますか? 言い換えればストーリーもしっかりしていてキャラクターに萌え要素がある作品はどう評価されるおつもりですか
    おそらく萌えに対して大変否定的に見ておられるようなのでたぶんそれでも否定的な意見を述べられるのではないかと思います。そうなるとたとえオタクが萌え要素がないキャラクターに魅力を見いだしてしまう場合、その作品を処女がなんだかんだと批判されますか?結局は萌え要素があるないに限らずアニメの関連商品を出すべきではないということになりませんか?長くなり趣旨がぐちゃぐちゃになってしまい申し訳ありません。返事頂ければと思います。

  52. 2012年2月5日 at 12:30 AM

    HBKさん、はじめまして。読んでいただきありがとうございます。

    おっしゃられているような目標の設定変更自体には、そこまでの意味はないと思います。
    「ストーリーもしっかりしていてキャラクターに萌え要素がある作品」というのは、例えば本文中でいくつも挙げている、私が高く評価している作品のことだと思います。
    だから、「萌え表現がある=駄目」と言っているわけではありません。「けいおん!」は、それ以上の内容が希薄なので、作品としての評価が低くなるということです。

    「作品に内容がある」というのは、作り手が持つ、哲学、世界観、主張などが優れているということだと思います。
    山田尚子監督には、現時点で、高評価出来るほどの優れた作家性はないと判断しています。

    本文で萌え表現に異を唱えているのは、そこにばかり注力していても、それが作家的な内容の価値を上げることにそれほど寄与せず、逆にドラマに悪影響を与えるケースが多いということです。

  53. HBK
    2012年2月5日 at 12:57 AM

    onodera さんとてもわかりやすいお返事ありがとうございます。作家の力量を十分発揮するには原作のアニメ化よりもオリジナルアニメのほうが適していますよね。正直けいおんには作家の哲学や世界観を盛りこむ余地はないかと思います。原作のアニメ化という縛りもありますし日常アニメですし。映画けいおんもいつものけいおんを、という思いが監督にはあったようですし。ただリピーターが多いようですがたくさんの人に好かれるけいおんにも萌え要素以外の魅力があることはわかって頂きたいです。
    これから作家の哲学などを十分反映される作品が増えていくといいですね。onodera さんと同じ意見を持っている人は少なくないと思います。そういう風潮が強まっていけばきっと原作のアニメ化が減っていくと思います。ただ作家の力量が問われると思います。場合によってはまた原作のアニメ化という風潮が盛り返すかもしれません。オタクはミーハーなので。
    良い話し合いができたと思います。ありがとうございました。

  54. 2012年2月5日 at 2:00 AM

    HBKさん、お返事ありがとうございます。

    そうですね、オリジナル作品の企画が増えて欲しいと思いますし、演出家のレベルアップ(ジブリの新人監督なんかを見てもなかなか難しいかもしれませんが)に期待したいと思います。
    個人的には、宮崎駿監督のように、哲学もストーリー・テリングも、作画も動画もコンテも演出も全て高水準の人材を求めるのは困難だと思いますので、生え抜きにこだわらず、他分野からも作家を探して、演出の仕事内容の得意分野を分担させるのが良いのかなと考えることがあります。

    「けいおん!」独自の良さも、それなりには分かっているつもりです。女子の内向きなグダグダ感の心地よさを、ちゃんと女子目線で表現できていると感じるようなところはいくつもあって、今までのアニメーションには無かった部分ではないかと思います。

  55. のあ
    2012年3月18日 at 3:20 PM

    野暮ですよ。同じ嗜好の集団がいて、外部の人間がそれにむかってあれこれいったところで何の意味もない。こういうのは誰も得しません。

  56. 2012年3月19日 at 3:02 PM

    のあさん、コメントありがとうございます。
    そのように考えられる方が多いからこそ、声を出す意味があると思います。
    私はアニメーションのファンとして、それほど外部の立場とは思いませんが、誰も言わなければ、問題自体が無いことになってしまいます。
    AKB48や携帯ゲームのクォリティ批判をしたとしても、野暮と思われますか?

  57. _
    2012年4月6日 at 7:38 PM

    面白い記事でした。
    自分も個人的に、けいおん等この系統の作品は何だか気色悪いと思っており、ところが何故そう感じるのかがよく判らないでもやもやとしていたのですが、その一端をこの記事のお陰様で掴めたような気がします。
    ただ、記事中で一点気になるのは、意訳になってしまいますが、ポルノはポルノのままでは芸術的・文化的価値を獲得できないというくだりです。
    ポルノとしての価値を極限まで高めていった結果、芸術の域にまで到達したという例は、本当に無いものなのでしょうか。
    芸妓や高級娼婦などは、例にはなり得ませんかね・・・
    画家のリビドーが塗り込められている裸婦画とか、浮世絵とか?
    自分としては、気色悪いものというのは中途半端だから醜悪に見えるのであって、醜悪さも最後まで突き抜けきってしまえば芸術になってしまいそうな気がしているのです。

  58. 2012年4月6日 at 10:20 PM

    ありがとうございます。

    私は、ポルノとエロティック表現は、峻別されるべきだと思っています。目的の違いですね(ただこのふたつが混在している場合も多いと思います)。
    ポルノがポルノとして芸術的・文化的価値を獲得する可能性ですが、私たちが知らないだけで、あるのかもしれませんね。ただ現実問題、なかなか困難であると思います。
    ポルノとは目的の違った、性を探求するようなエロティック表現は、もちろん芸術性を獲得出来得るものだと思いますが、「けいおん!」は、仰るとおり中途半端に(主にポルノ的な意味が大きいと思いますが)それをなぞっているために醜悪に見えるんですよね。
    突き抜ければもっと意義深いものになる、というのは私も同意いたします。

  59. m16a1
    2012年5月1日 at 6:20 PM

    「映画けいおん!」について読ませていただきました。

    作品=芸術 との考えを強く持っているようですが、自分には同意しがたいです。

    そもそも山田監督をはじめとし、アニメに携わっている方々は自らを「芸術家」として活動しているのかということが疑問です。

    自分自身はアニメは娯楽として見ているので芸術的価値云々より、どれだけ世界観に浸れるかということが大事だと思っています。

    作品が普遍的でなければならないというのも新しい作品の誕生の枷になるのかなと、、、、  

    なので芸術か商品か といった視野だけでなく娯楽としてみた世界観などの感想ももつべきなのではないかと、生意気な意見を発させていただきました。

  60. 2012年5月1日 at 7:33 PM

    コメントありがとうございます。

    山田監督は、幅広く女性にも受け入られるように、例えば、いかにもな美少女アニメ風の大きすぎる目を小さくしたり、奇抜なファッションや髪型を避けるような指示をしたり、女学生特有のキャッキャした雰囲気を取り入れたりといった努力をしていますね。
    これは、できるだけ一般的な女性にも観て欲しい、ただのオタク男子の消費物にはなりたくないという意志なのだと思います。言い方を変えると、普遍性の獲得を目指している、ということになると思います。
    ここで問題にしたのは、その意志が消極的な方向にしか発揮されていないということです。

    つまり、もともと美少女アニメというのはエキセントリックな存在(はっきりいうとポルノ的な価値観で成り立っているもの)ですが、それを、表面的にやや一般的なものに引っ張っただけに過ぎず、本質的に同じような価値観の作品になっているということを、本文で言っています。
    そして、そのような性風俗産業に近しい価値観のものを、何の注釈も加えず「娯楽」と呼ぶことに、私は抵抗感を感じます。
    もちろん、一般的な映画にはセクシーな要素が盛り込まれている場合が多いですが、それが核となってしまっているのが「けいおん!」だと思っています。
    であれば、包み隠さず、もうそういった価値観を極めていく方向に舵をきる方が、逆にすごい作品になるのではないかという気がします。

  61. サカイテツオ
    2012年7月4日 at 8:20 PM

    はじめまして。
    記事を興味深く拝見させていただきました。
    onoderaさんの書かれた記事はほぼ「けいおん」や今のアニメが抱えている問題を全て指摘していて、見事な論評だと思います。

    ただ僕自身は「けいおん」自体には罪は無いと思います。むしろ「けいおん」は美少女アニメの中では頑張ってるほうで、これだけの人気が出たのも、他の美少女アニメに比べて、オタクじゃない人にもキャラクターに感情移入しやすいように作られているからでしょう。
    キャラの「処女性」が大事にされるアイドル作品があっても良いと思うし、男性だから現実でも映画でも好きな女性のそこのところが気になるのはそれほど変なことでは無いと思います。

    でもonoderaさんの言うとおり今のアニメの「ポルノ化」は問題だと感じています。この記事に書いてあるとおりです
    この問題は記事の後半に書いてある、「作品を見るファンが異常化していて、美少女アニメの作り手達がそういうファンが望むとおりに作品を作っている」というのが中心だと思います。

    そういう作品を望むファンの人たちは、美少女キャラが非処女なのは許せないし、演じる声優も清純でなくてはならないと思っていてネットを炎上させたりします。
    すると作り手もキャラクターが「アイドル」だからファンのイメージを崩すような行動を物語の中で取らせられないとそういう作品ばかり作ります。
    だから美少女キャラは恋愛しない、セックスしない、いがみ合わないということなのでしょう。
    でも恋愛しようとセックスしようと、それは人間として自然の欲求で、アイドルだろうと美少女だろうと声優だろうと、その人物の人間性とは何も関係ありません。

    すぐ「ちくしょう、ヤリマン女め」とか「アバズレ」とか考えてしまうのは、僕もそうですけど、男なら必ず少しは持っている感情だと思います。
    でもそれを作り手や声優に押し付けてくるファンというのは明らかに歪んでます。そして今の美少女アニメは「けいおん」も含めて、明らかそういう人たちを「甘やかす」ように、彼らが望む世界を作っています。
    女性声優にストーカーまがいの行動をするファンや、「処女じゃない!?許せん!中古ビッチめ!」などと人間性の欠片もないようなことを掲示板に書き込むファンが大量に出ているのはそのためだと思います。

    萌えアニメだろうがなんだろうが、アニメを見ることで励まされたり、前向きな気持ちをもらったりするなら価値のあるものだけど、どれだけ見ても何も得られないどころか、余計根暗になったり、異性に対する身勝手な気持ちしか湧いてこないのなら、「萌えアニメなんて百害あって一利なし」ってことになるってことを過激なファンの人たちは少しはわかってほしいです。石原慎太郎の気持ちが少しはわかりますよ。

    でも最近多くの漫画家や評論家から萌えアニメの代表として「けいおん」が叩かれるのにも少し疑問があります。
    萌えブーム自体に不健全さがあるとはいえ、流行っている個々の作品を槍玉にあげて責めてもしょうがないというような気もします。

    評論において「萌えアニメ自体の問題」と「個々の作品の評価」という二つは(同時に語られるのはしょうがない)ある程度距離を置くべきではと思いました。

    長々とした文章ですいません。とにかくこの記事は問題の根深いところまで突いている記事だと思いました。

  62. 2012年7月5日 at 12:19 AM

    サカイテツオさん、コメントありがとうございます。
    概ねご理解いただけて、文章を書いた甲斐があります。

    「けいおん!」を特に選んで叩くことはない、というご意見はよく理解できます。
    確かに、多くの美少女アニメに比べ、女性監督ということもあって、女の子特有の感性が加えられていたりして、まだ一般的な鑑賞に耐えうる可能性がある作品だということには同意します。

    ただ、ここで私が問題視したかったのは、それでも「けいおん!」は、美少女アニメの持つ根本的なポルノを含んだ価値観から、全く逃れ得ていないということです。
    つまり、「けいおん!」が美少女アニメと違う点は、美少女アニメと同じポルノ要素を扱っていながら、「表面的な美少女アニメっぽさ」からできるだけ離れよう…という消極的姿勢、ということになると思います。

    基本的にはおんなじような商品を、その特徴を隠し、パッケージや売り方を変えることによって、「私の作ってるものは他のオタク作品とは違うんです」という意志を「けいおん!」からは感じます。

    ここで懸念されるのは、そのような作品が、「表面上の一般性」を持つがゆえに、それら価値観を嫌悪するような観客にも、無自覚に受けいられ、そういう作品が最終的に市民権を獲得してしまうような後押しになってしまうことです。
    そしてそこが、「けいおん!」に特有の問題だと思います。

    もちろん私は、ポルノ要素、エロティックな描写自体を責めませんが、結局それ以外に中身のない作品だという点に、志やモラルの低下を感じています。

  63. PPPPPQ
    2012年12月19日 at 3:19 PM

    結局いつもの内容厨ってだけじゃないか

    それだけの事をここまでの長文にする必要あるのかね?

    しかもフェミニストかよ

    ありがちすぎ

  64. 2012年12月20日 at 12:03 AM

    PPPPPQさん、長文へのご批判ですが、ただ「内容が無い」ってだけ言えばよいということでしょうか、しかしただそれだけでは、根拠も説得力もない、それこそ内容の無い批判になるのではないでしょうか。
    ちょうどPPPPPQさんの文が、そのようなものになっているのではと思います。

  65. t
    2012年12月24日 at 12:04 AM

    はじめまして、記事を読ませていただきました。
    僕もオタクなので記事の内容がぐさりと刺さりました。

    美少女アニメやそういう類のものって、モテない男にとっては相当タチの悪いものですよね。
    うっかりハマってしまうとなかなか解放してくれないものですし。
    なまじストーリーとかついていると何か高尚なメッセージが隠れているのだと勝手に勘違いして延々と考察してみたり。

    エヴァンゲリオンの監督ってオタクを否定したい考えのようですが、何故美少女キャラを強調するんでしょう?
    ヒットしてるし、オタクの開き直りを増長させてる気もします。

  66. 2012年12月25日 at 12:08 AM

    はじめまして。読んでいただいてありがとうございます。

    美少女アニメの問題って、キャラクターにどんどん生気が無くなっていっているっていうことだとも思うんです。
    男の都合の良い、自分を全て肯定してくれる存在ですね。そういう作品は、それが絵柄にもにじみまくっていますが。
    そこで「2次元がいちばん」っていう思想が生まれるんだと思うのですが、本当のキャラクターの魅力って、自主性を持った、生きた人間であることだと思います。

    エヴァンゲリオンの件は非常に複雑なのですが、美少女キャラの強調は、もともと監督自身の趣向であり、観客へのサービスでもあると思うんです。しかしそれを自己嫌悪から否定して、さらに観客まで否定してしまうという、アンビヴァレントかつ悲痛ものになっています(旧劇場版を見るとこれが顕著ですし、綾波レイが、最初は人形だったのが、少しずつ自我が芽生えることからも、その意図が探れます。)
    こういうのは嫌いだ、でもこういうのしか作れない、っていう、その苦悩がむき出しになっているところが見所なわけです。
    ただ、せっかくあれだけ露骨に、自分やオタクの批判をしたのに、その意図に対し、全然鈍感な層っていうのがいて、これは監督の予想を超えていた事態だったのだと思います。普段アニメなどしか見ず、その価値観でしかものを見れなくなって、自主的に作品を読み取る力さえなくなっていたのでしょうね。
    だから、必死にオタク批判をしたエヴァの旧劇場版を見て、怒ったり喪失感を味わった人というのは、すでに少し救われているわけです。たぶんエヴァという作品がなかったとしても。

  67. T
    2014年2月12日 at 1:53 AM

    要はあなたはけいおんという作品がキャラクター萌えやエロスに特化した作りをしてしまったがために作品としてのテーマ等の芸術としての価値がなくなり、商品としての価値しか見えてこず、それを悪であるといっているのでしょうか?
    対例としてあなたはウテナ、エヴァを挙げていますが、私がそこから感じ取れたのは価値観が違うものに対する不理解ですかね。
    エヴァ等の作品は確かに現実世界にある問題や人のもつ普遍的な部分に訴えかけるものを持っていると思います。ではけいおんはどうなのか?作中、彼女たちが育んできた友情や絆はエヴァのような悲劇的悲観的な『重い』ものとはまた違った普遍性のあるものだと私は思います。そこに感動した人がいることも事実です。軽音部としてのラストライブをした文化祭のあとの涙は私を含め多くのファンに涙を誘いました。
    しかし、あなたはそういったものを全て制作上の縛り(性への関心等のリアル(笑)な女子高生の心理描写など)で、無駄にしていると言う。
    納得できないですよ、ファンからしてみれば。そこに感動した全てをお前らは所詮性欲に支配されていて、それが全ての前提となっている欺瞞に満ちたものだと言われているのですから。あるいは内容のないものに安く感動してしまっているものを憐れんで見下されているように感じているのだと思います。前提が欺瞞に満ちてようが感動はするし、男がいない?けいおんに魅力的な男性をだしてどうするんですか?よしんばだしても、恋愛させなきゃいい?じゃあいなくてもいいじゃないですか。テーマが部活の同じ女子高生絆や友情なんですから無理して男を出す意味がないです。恋愛要素を絡めればそれはテーマをぶれさせるものにしかならないでしょう。それに、女子高生にだって恋愛やそれに付随する行為に興味のない人はいます。そういう女子がある日恋愛に目覚めて…という展開が現実にあるし、それは少女漫画のひとつのテンプレートにもなっています。あなたの言うことは批判する要素にはなり得ませんよ。
    そもそも、日常系の作品の価値ってそういう内容のなさを楽しむものだと私は思います。それを楽しむことができず、こんなものを絶賛していては業界が腐敗していき、ジャンルの衰退や陳腐化を招くと声高に唱えられましても、受け取り手は困惑するばかりですよね。一番の売りの部分を否定したらそりゃ何も残らないだろうと。(それに、何も残らないということはそれだけテーマを貫いているということでもあるのでその点でもけいおんは評価できると思う。)
    ここまでかいてみれば自ずとわかるんですが、この討論は非常に不毛なものですよね。作品に重い展開やテーマ性を求める人が軽さや明るい部分を売りにしている人にマジレスしても気に入らないなら黙ってればいいと言われます。当たり前です。どんなに声高に主張されても平行線をたどるしかないんですから。
    あなたが方々から内容がないと攻められているのはこのためだと思います。もっと新しい切り口でなにか言われるのかと思ったら2ちゃんねるの住人でも考え付くようなことをただ小難しい言葉で修飾しただけだからです。
    さらにいうならばご自身が既にマイノリティに属するにもかかわらず古い価値観で物事を問題視しているのも原因の一端だと思います。アニメとは作劇やテーマ性、哲学を表現することこそが本懐である、なんて言われましても……そういったジャンルの衰退の原因の一端は間違いなくそのジャンルのファンや作り手にもあるんですよ。同じようなテーマ、同じような展開をよに送り出し、私たちは表現したいことを全力でやったから買ってくれと作り手は言う。最初の内はみんな買っていてもだんだんと類似作品を産み出すばかりの現状(そりゃ、普遍的なものなんだから同じようなものばかりになるのは当たり前だ)に愛想をつかしてファンは離れる。そして作り手は諦め、会社は予算を減らす。この悪循環。
    ジャンルとしての限界が見えてきており、受け取り手も愛想をつかしているのにそれを評価なんてできないし、それならまだ個々にある程度のクオリティが保証されてる萌えジャンルに金かけますよ。そういった現状を悪いと思ってもじゃあそれに値する価値のある作品を世に送り出してみろという話。
    ここで要点にまとめてみれば……

    ・けいおんはエヴァ等とは違った普遍性をもち、それを表現している作品である
    ・あなたはその価値を商品としての側面が台無しにしているというが、そんなことを気にしてみているのではない多数のファンにとっては黙ってろと言われるだけである。
    ・そもそも、あなたが評価するような普遍的なものの衰退は作り手やジャンルのファンにもとの原因がある。
    ・その結果としての現状なのでそれを受け入れられないならばなにかしてみればいい。我々はそれを善かれ悪しかれ評価しよう。

    こんなとこですかね。作品そのものとしての価値にまで言及し、尚且つそれが全く価値なんてないと言われれば誰だって不快感はありますから。なたはそれを反省した方がいいと思います。それに、美少女アニメが持つ問題の多くはあなたがた先駆者たちの行動の結果であると自覚してください。それを止められなかった見識あるものたちも悪だし、それでよしとしてしまったクリエイターも悪です。

    追記。
    原作者のかきふらい先生はロックに愛情を持っています。自分の趣味を作品に押し付けがましく主張しないだけで私のようなその筋に少し詳しいものから見れば面白いようそはたくさん入っています。アニメではオミットされていますが。

  68. 通行人
    2014年6月11日 at 2:01 PM

    別にけいおんのファンでもありませんが、無駄に長くて、読みにくい駄文だと思いました。
    それだけですね。

  69. 通りすがりの猫
    2014年6月11日 at 10:29 PM

    とても興味深い記事だと思い、拝読させて頂きました。
    歯に衣着せぬ物言いというのでしょうか?私自身にも当てはまるなぁと思い、グッサリ刺さる所もありましたが、個人的に記事の内容に共感する所も多くありました。
    知識の浅い私では善し悪しは判りませんが、大変面白かったです。

  70. 大学生
    2014年6月14日 at 7:14 PM

    賛否が別れているみたいですが私は概ね論評に同意できます。
    そして萌えアニメが絶対にポップになれない理由でもあると思いました。むしろポップとなるようなら観る者の鑑賞眼を憂いますね。
    今大人が観れるアニメというのは本当に少ないです。
    萌えアニメは結局どう足掻いても物語は〈従〉でキャラクターが〈主〉となります。
    この論評は2012年に書かれたようですが、今でいうと正にラブライブに置き換えられますね。

  71. 二人
    2014年6月22日 at 10:56 AM

    大学生さん
    賛否が分かれるというか、否がすごく多いのはジャンル自体を否定するしかも実作品名を出して否定する下品さを補えるだけの新しさがあったり、考察がされていないからですよ。

    「現実を写し取る」ことを表現の中心のように置いていて
    設定自体で表現になっていないと分かっていながら

    キャラクターの表現というものに触れるときには女子高生なのに恋愛事情が書かれていないなど設定の話しかできていなさ

    キャラクター表現として恋愛事情が書かれないのと
    設定として恋愛事情が書かれないだけなのか大違いですが

    私はけいおんには当てはまらないと思いますが
    設定のみが先走った結果キャラクター表現と乖離して恋表事情が書かれていないということをお飛ばして
    こういう設定だからのみで表現となっていないのみかかれています。

    サッカーで例えるならすごい選手を集めました。名監督も呼びました。なのでギリシャ戦は勝利です。と言ってるようなずれを感じます。

    それを見てギリシャファンはもちろんその他のファンも否が多くなりますよね?

    萌え系作品については経験上大ヒット作は面白いものも多いですが
    中ヒット作が面白くないものが多く、身内というか、元からの萌え系ないだけで評価される作品はあてにならないなとは感じています。

    その理由についてはこの記事中の
    ”可能な限り苦痛や苦労を取り除いたうえで、最大限に良い思いをひたすら味わいたいという願い”
    よりももっと悲惨で
    ”勝手の分からないものに手を出したくない”
    というより消極的なものが現代の若者の一定数以上にあるのではないかと思います。
    私は萌え系読者ではないですが
    成人式のとき、同級生の半分は就職している状態で合い、自分と同じと思っていた友人が就職している者は成人式後の集まりで場を回すなどしっかりしていて
    勝手の分からないものに手を出すのが苦手で大学に行ったという面のある自分含め大学いった面々は出席するだけの頼りない雰囲気になっていました。
    萌え系読者はこの傾向が強いものが集まりやすいのではないかとおもいます。

  72. 名無し
    2015年1月21日 at 11:18 PM

    というかこの映画完全にメタ映画ですよね

  73. 男子校出身者
    2015年3月20日 at 4:02 PM

    高校生に夢を見すぎでは。男子高校で三年過ごしましたが、まわりに女子がいないからか恋愛的な話や性的な話を(頭の中でならともかく)友達同士ですることはありませんでしたよ。女子高生の会話劇に恋愛や性の話が出てこないのは当然だと思います。女性も性に関心があるはずだ、そういう会話をするはずだ、てのはただの男の妄想にすぎません。

  74. つじ
    2016年3月15日 at 12:21 PM

    けいおん大好きなんですね。
    僕にはそういう風に写ってしまいました笑

    ところでアニメには芸術性が必要なんですか?

  75. ara
    2016年3月26日 at 2:23 PM

    けいおん!はポルノである。
    だってほら、年頃の女の子が集まってるのに恋愛話にならないじゃん!
    これは不自然だよね?恋愛しない女子校生なんて存在しないもんね?
    美少女アニメ見るようなオタクってロリコンで処女厨だからに決まってるよね

    え?何?女性目線があって女性ファンもいる?テーマもある?
    そんなものは大した問題ではないのだ!だってポルノだもん!
    ポルノは芸術ではないから存在価値がないのだ!

    美少女アニメっていうジャンルは潰れてしまえ!
    キモいオタクは市ね!あ~キモいキモい

    まるで魂の叫びが聞こえてくるような素晴らしい論評ですね
    中々ここまで赤裸々には語れないものです。
    一気に「ファン」になりました。頑張ってください。

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