『アルゴ』を徹底Dis

ベン・アフレックが監督と主演を務め、ハラハラドキドキできる脱出サスペンスとして、非常に多くの観客から評判が良い『アルゴ』。
だが私は評価していない。どころか、最近のアメリカ映画の中でも、かなりひどい部類に入ると感じてしまった。
それは、よく言われるように、「アメリカ寄りのイデオロギーで撮られているから」という意味でなく、まず通常のエンターテイメント映画として、レベルが低すぎるということである。

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着想と企画は良いと思う。うまく撮れば、これはいくらでも楽しく怖いサスペンス作品になり得る。とくに、アメリカの外交官たちを亡命させるという、実際にあった作戦の内容が「偽映画の撮影」であることが素晴らしく楽しそうだ。
しかし、脚本や演出などが、あまりにひど過ぎるために、サスペンス映画の「サスペンス」が全く機能していず、エンターテイメントとしての体すら成していないのだ。
『アルゴ』は、あくまでサスペンス風味の映画っぽい何かであって、サスペンス映画ではない。この映画自体が、ある意味まがいものの「偽映画」である。
これを、プロの評論家まで高く評価し、褒め上げているとすれば、嘆かわしいという他ない。
本当に良く出来ているレベルの高い映画と、これを同様に評価しているとするならば、もともとレベルの高い映画すら、良く分からず「なんとなく」評価していたのだろう。

そもそも、「サスペンス」と呼ばれるものの本質は何だろうか。
簡単に言うと、「登場人物が大変なことになってしまうことを先に予感させておくことで、観客をハラハラさせる」という試みであり、効果のことである。
例えば、ある登場人物が道を歩いている。しかし、観客はあらかじめ、その先に落とし穴が掘られていることを既に教えられている。このままでは落ちるかもしれない。だからハラハラさせられる。このハラハラしている時間が「サスペンス」である。
落とし穴に落ちたり助かったり、結果が出てしまえば、その時点でサスペンスは終了するし、落とし穴があることを観客が知らず、突然、登場人物が落とし穴に落ちてしまえば、それはただショッキングなシーンだということになる。
だが、今述べたようなものでは、今日ではあまりに単純すぎるだろう。ここにいろいろと工夫を加え、どれだけこのハラハラ感、緊張を持続させ、観客の心理をうまくコントロールできるか。この種のジャンル・ムーヴィーの面白さは、まさにそこにかかっているといえるだろう。

まず言っておかなければならないのは、前提として、この作品が実話を基にしていることを、あらかじめ映画が明かしているということである。
つまり、事前に「助かる」ことを観客は知っている。その意味において、ここにサスペンスは発生し得ない。
この映画で描かれる「サスペンス風演出」は、そのほとんどが、「外交官であることがバレる、バレない」ということでしかない。
「バレそうだ⇒バレない」、「バレそうだ⇒バレない」、「バレそうだ⇒バレない」、または「追いつかれそうになる⇒追いつかれない」。基本的に、この作品はこれだけだ。極めて単純な構造である。
しかし、結局「助かる」ことを観客は知っている。これだけでは、緊張は十分なものでなく、サスペンス作品としてほぼ成立していないにも関わらず、映画は無神経にどんどん進んで行く。
後半、大使館で破棄された写真をつなぎ合わせたことから、警察に気づかれてしまうという展開は用意してあるにせよ、そのタイミングはいかにもありがちで、過去に何度も使い古されたものであるため、かえってすごく安心してしまう。
例えば空港のシーンを、トラブルがほとんど発生しないような演出で描いた方が、「うまく行き過ぎている、変だ」と、逆に不安にさせられることもできるはずだ。
とにかく全てが、あまりにも単純で、ありがちで、下手くそで、貧困な発想のつまらない描写しかないのに、「これでいい、うまくできている」とほくそ笑んでいるフシさえも映画から感じ取れてしまって、まことに不愉快きわまりない。

では、どうすればいいか。それは、「観客の想定外の出来事」を描く、というのもひとつだろう。
実話とはいえ、『アルゴ』はただの再現ではなく、いろいろな史実と異なる展開が数多く加えられている。だからなにか効果的なエピソードを追加することは、当然許されるはずだ。
「バレそうだ⇒バレない」という一連の展開は、ただ「助かる」という結末を裏付けていくものでしかない。だから早い時点で「実際にバレてしまう」展開は効果的だろう。
例えば、かくまってくれたカナダ大使館のハウスキーパーにバレそうになっていろいろと誤魔化したり、警察に密告に行くのをベン・アフレックが演じるCIA職員が気づき、命がけで追って行く展開を中盤の見せ場にしてもいい。
しかし、結局ギリギリで間に合わず、ハウスキーパーは警察署に入ってしまった!…観客は、「えーっ!助かるんじゃないの?どうなるのこれ!?」と驚くだろう。
この先は私も全く考えていないが、こういうところで、うまい伏線を用意して無理のない展開で助けてしまうというのが、脚本家の手腕なのだ。
そういうサプライズやうまい展開・演出を、『アルゴ』はほとんど用意していない。観客を侮っているということである。

もし私の言うことに納得ができなければ、サスペンスの名手であり「神様」とまで言われるアルフレッド・ヒッチコックの映画を見直して欲しい。
単純に、うまい、下手の問題だけではなく、「観客をびっくりさせよう、楽しませよう」という観点から、考え得る限りのあらゆる仕掛けが用意されていることが分かるはずだ。
とくに『引き裂かれたカーテン』は、国外脱出ものとして意匠に満ちており、その意地悪な演出の数々は、心臓が止まるかと思うような緊張の持続を体験させてくれるだろう。

ヒッチコックは、トリュフォーによるインタビューで、自作についてこんなことを述べている。
「ある館に忍び込んで、二階の部屋から機密文書を盗み出そうとしている登場人物がいる。しかし、その文書はじつは偽物であることが後で分かる。だがそれだけでは、観客を驚かせることはできないし、先に展開を予想されてしまうこともあり得る。ではどうすればいいか。二階へと続く階段の途中に、番犬を置いておくのだ。観客は、いかに番犬に騒がれないように通り抜けることが出来るか、そこに注目し緊張する。結果として、文書が偽物だということに、観客は気づくことができなくなる」
ここでは、複数のサスペンスを同時に描いているということになる。単発ではそれほど効果の無いエピソードも、ぐっと面白くなることが分かるだろう。『アルゴ』のあくびが出そうな単純な構造は、こういうところからも理解できるはずだ。
もちろん、神様ヒッチコックとアフレック、または脚本家を単純に比べて、「良い、悪い」と言いたいわけではなく、このようなはるかに良質のサスペンス映画が既に存在しており、そこからいくらでも研究することができたにも関わらず、そういう跡が全く見られないということ。しかも、ヒッチコックのようなサービス精神や努力がほとんど見られず、「こんなもんでいいや」と過信をしていること。
このような、ジャンル映画をなめきったふざけた態度が『アルゴ』から感じられる、ということである。

また、極めて単純で、つくるハードルが低いような構造にも関わらず、致命的な欠陥も散見される。
例えば、空港で疑われたときに、映画制作者の振りをした外交官が、突然現地の言葉を流暢に話し始めて、警官を納得させようとしたりする。
その場はそれで収まるのだが、それは「自分は外交官である」と白状しているようなものだろう。空港の警官が間抜けでうっかりしていたということだとしても、これはうまくない。
こういう違和感を観客に感じさせないようにするには、カタコトの現地語で映画制作の情熱をうったえるというような演技をさせればいいだけの話である。

さらに深刻なのは、この映画の内容の無さ、言い換えると、情報量の決定的な貧困さだ。
『アルゴ』はちょうど2時間の上映なのだが、それにしては、描けている要素があまりにも少なすぎる。この逃亡劇を、カタルシスのあるものにするために、キャラクターの個性や心理的葛藤を、もっともっと描写しておくべきである。
ベン・アフレックが演じるCIA職員が、主人公らしいところを見せるのは、「外交官たちを置いて帰国するか、それとも助けるか」という選択の場面だけだ。他に彼が際立った活躍をする場面はない。
ある意味で、それはリアリティがあるともいえるのだが、やはりこれだけでは彼を主人公にするには不足過ぎるし、リスクを払ったという意味では、カナダ大使も同様である。だから彼が主人公である理由も弱いといえるだろう。
それこそ、「帰る、帰らない、裏切る、裏切らない」という葛藤を、悩むだけの演技でなく、もっとサスペンス的な演出で盛り上げることが出来たはずだ。
例えば、『マディソン郡の橋』で、平凡な主婦が、「破滅的なカメラマンについて行って人生を変えようかしら、それとも夫とここでずっと暮らすべきなのかしら」と、車のドアノブを持たせ、それを引くか引かないか、引くか引かないかで緊張させる、きわめてエモーショナルなクライマックス。ここは完全にサスペンスだといえるだろう。このような映画独特の力強さが、『アルゴ』には全く欠けている。

助けられる外交官たちの個性の描き方も、あまりに通り一遍でそっけない。
役者たちの演技は悪くないものの、画面はただ彼らの姿を追うだけで、彼らを際立たせるエピソードや、印象に残る演出を用意できてないし、もっとひどいのは、アラン・アーキンやジョン・グッドマンら名優を、本筋のなかで生かしてあげるようなものにもなっていないことだ。

さらにひどいのは、イラン側のキャラクターである。
警察は、ほとんど間抜けとしてしか描かれていないし、デモの群集はほとんどゾンビのようだ。
『アルゴ』は、アメリカ側のキャラクターを生き生きと魅力的に描けていないばかりか、イランの人は、ほぼ間抜けかゾンビとしてしか描写していないのである。
イラク戦争でもよく言われたが、アメリカ人は、中東の人間を「良く分からない人たち」と思ってるという。
つまり、良く分からないから恐怖するし、テロを起こすような怖い、狂った人種だと思いがちだというのである。
無論それは事実に反するわけで、しかし「ベン・アフレックは、そのようなステレオタイプなアメリカ人と同じような思考」なのだと指摘されても、仕方がないだろう。
イラン側に、例えば『イングロリアス・バスターズ』のクリストフ・ヴァルツのような、執拗で変態的な、だが生き生きとしたキャラクターを置いたり、または情の深いキャラクターを置けば、作品にぐっと深みが増すはずだ。
しかし、ベン・アフレックにはそれができていない。異文化への知識も想像力も欠けているし、そこを追求する気もないからである。

さて、二時間もありながら、なぜ上記のような、作品に深みと魅力を与える要素をほとんど用意できなかったか。
ひとつは、アフレックのイメージの貧困さと努力不足があるだろう。
そしてもうひとつは、「複数の情報を、画面内で同時に描く」という、エンターテイメント作品に欠かせない基本的な技術を知らず、それが重要であることすら気づけていないということだ。
うまい演出家は、キャラクターの描写や、サスペンスや、ユーモアや、あるいはそこに潜在する哲学性のほのめかしなど、複数の要素を、的確に、手際よく描いていく。
だから、短い時間内で、多くの情報を観客に与えることが可能になるのである。
例えば、これが徹底されているのがTVアニメ「ザ・シンプソンズ」だ。この脚本の情報量の多さは驚異的で、コマーシャルやオープニングなどを抜かせば、放送時間は22,3分ほどしかないものの、そこで、映画一本、あるいはそれ以上の内容を、ギチギチにつめこんでいる。これを成立させているのが、やはり情報の同時描写なのである。
『アルゴ』は、そのようなことができないので、「はい、ここは心理描写」「はい、ここはサスペンス」「ここは状況の説明ね」と、それしかないただ単発の演出が続く。あまりに単調すぎてあくびが出てしまう。
とくに前半のアメリカのパートは絶望的に退屈だ。ほぼ状況説明ばかりで、エンジョイできるなにかがほとんど用意されていない。評価するところがあるとすれば、ひどい演出のなかでそれなりに見せ場を作ろうとしてくれている役者の努力くらいであろう。

ベン・アフレックの手際の悪さは、カメラワークでも確認が出来る。
例えば、カナダ大使館にかくまわれて憔悴している室内のシーンでは、めまぐるしくスピーディにカメラが動くのだが、そこにずっと隠れて久しい人々の会話を追うのに、このような演出は不要だろう。技術を見せたがる新人監督がよくやる失敗である。
また、せっかく「映画を撮ること」を題材にしているのに、それがただの表面的なユーモアとしてとか、役者にこれみよがしにさせる「業界人っぽさ」のようなものとしてしか扱えなかったのは、題材の面白さを消しているといえる。
ベン・アフレックが映画にかける情熱、またはフェティッシュなどが、そこからは微塵も感じ取れない。
唯一、『スター・ウォーズ』への愛はちょっとだけ感じることは出来た。これは、ベン・アフレックと親交の深い、SWマニアで、かならず自作にSWパロディをいれるケヴィン・スミス監督への共鳴と目配せでもあるだろう。

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そして、映画がやっと終わってくれたと思ったら、当時の再現写真と場面の比較画像を見せ付けられてしまった。
「どうだ、この当時の写真を再現したんだぜ」という見せびらかしだ。それは頑張ったのかもしれないが、映画自体が絶望的にひどいので、そんなこともうどうでもいいんだ。
技術も平凡以下、映画への情熱やサービス精神も感じられない、だが顕示欲だけは一生懸命な、何一つとして取り柄を見つけることの出来ない『アルゴ』を高く評価など、私にはとてもできそうにない。

最後に、「この作品はエンターテイメントだから、ここで政治的な描写について批判をすることは間違いだ」という意見をいくつか見かけたのだが、それは間違っているということを言いたい。
ただの映画だから、脱出劇のエンターテイメントだから、政治問題や国民性への理解を軽視していい、というのは嘘で、優れた監督の洞察力や知識や主義というのは、関係の無いように思われる箇所にも、端々に絶対に現れる。
そしてそれは、映画の内容を深くしこそすれ、つまらなくする様なことは決してない。


16 thoughts on “『アルゴ』を徹底Dis

  1. とらねこ
    2012年12月22日 at 1:48 PM

    いやあー、気持ちいいほど、メッタ切りにされましたね!w
    onoderaさんの言いたいこと、十二分に伝わりました。
    その場凌ぎのサスペンス描写ではなく、優れたサスペンス作品の持つ重厚的な描写との違いに関する、丁寧かつ親切な説明等々、
    映画ファンにとっても凄くためになるレビューでした。
    なんだか私のために書いていただいたようで恐縮しております…。

  2. 2012年12月22日 at 11:48 PM

    とらねこさんのアルゴ評へのコメントから派生して、記事を書くまでに至りましたが、内容が内容なので恐縮です。
    私は『アルゴ』、全然だめだったのですが、それにしてもちょっと評判が良すぎて…。関連があるようには思えないのですが、ベン・アフレックをイーストウッドと比べて、後継者と言う人もいますよね。
    ベン・アフレックは頭の良い人だと思うので、うまくきれいに収めようとするのでなく、本当に好きなものを、もっと情熱を持って描いて欲しいです。

  3. π
    2013年3月17日 at 1:53 AM

    >事前に「助かる」ことを観客は知っている。その意味において、ここにサスペンスは発生し得ない。
    と、おっしゃっていますが、事前に「助かる」ことを観客が知っていても尚、サスペンスは発生しえるのだと思います。またハウスキーパー云々のアイディアも、Disられているアルゴのサスペンス描写となんら変わりないと思います。Disるつもりはありませんが、そんなことを思ったもので。

  4. 2013年3月17日 at 8:35 AM

    πさん、コメントありがとうございます。
    確かに、最終的に助かることを観客が知っている場合でも、サスペンスは発生し得ます。
    だからここでは、『アルゴ』という「助かる」話において、「助かるか、助からないか」という描写だけではサスペンスが発生してないという趣旨で書いていて、そこに工夫を盛り込むべきだという趣旨です。
    『アルゴ』は、「助かる、助からない」の描写をしつつも、毎回「助かる」方向にしか針が振れていないのも、筋が単調になっている原因です。ハウスキーパーのアイディアは、「助からない」方に針が振れるという例のつもりでした。

    1. π
      2013年3月17日 at 1:17 PM

      >ハウスキーパーのアイディアは、「助からない」方に針が振れる
      ということですが、結局そのアイディアにしてもどこかで「助かる」わけですよね。それもおっしゃっている「助かる、助からない」の描写ではないでしょうか?
      「助からない」かも、と観客に思わせるのがうまくない/針の振れ方が足りないというのであれば、個人的な受け止め方のちがいなので納得できます。それにしても、申し訳ないですがハウスキーパーのアイディアはいかがなものかと。
      すみません、「徹底Dis」ってしまいました。

      1. 2013年3月17日 at 9:58 PM

        警察署にハウスキーパーが入ってしまったら、ほとんど助からないですよね。「助かるはずなのに助からないような展開になる」という、観客の想定外の事態が起こるというひとつの例です。
        この案がお気に召さなければそれでもいいですが、『アルゴ』には想定外のことが何一つ起こらないというのは事実です。それがサスペンスを発生させられないと私が指摘する理由のひとつです。

        逆にお聞きしますが、この映画がそれほど悪くないと言われるなら、評価できる点とは何でしょうか。『アルゴ』には、他の映画と比較して目覚しく優れている点はないと思います。

  5.  
    2013年5月5日 at 2:22 AM

    わたしもこの映画の演出の凡庸さにあきれました。
    原作には、空港で、外交官がいつもの癖でイラン語の現地新聞を
    読みかけて、慌ててやめる、なんて描写があったのに、
    その逆のことやらせてますからね。あきれました。

    1. 2013年6月3日 at 3:24 AM

      お返事が遅れました。
      おっしゃるような脚本上の間違い、そして想像力、表現力ともに不足していましたね。
      経験の少ない凡庸な監督にありがちな演出ですが、これがアカデミー作品賞を受賞したのですから、何ともやり切れない気持ちになってしまいますね。

  6. kuroneko
    2013年6月3日 at 2:31 AM

    私はπさんの意見に賛成ですね。「助かる、助からない」の描写をしつつも結局は「助かる」の方向にしか針が振れない、とおっしゃいますが、ハウスキーパーが客人たちの正体に勘付いた時点で、「助からないのではないか」という演出は成り立ちます。それを警察署に入るなどという演出を足すことで、「助からない」という方向に針を振れさせるのは、それこそ陳腐というものなのではないでしょうか。
    ハウスキーパーが客人の正体に勘付くことと、ハウスキーパーが警察署に入ることは、本質的には同じ演出です。わざわざ大仰な演出をするのではなく、静かな、しかし少しリアリティのある演出をしていると私は感じました。
    また、サスペンスの巨匠としてヒッチコックを例に出して、模範となるサスペンス描写に達していない、などと言うのは、映画好きとして感心しかねますね。一本の映画を、他の映画との比較でしか見れなくなった時点で、それはもう純粋な目で映画を見ることができなくなっています。先人たちの技法、技術に倣って映画を作るのは当たり前ですが、「では『アルゴ』に他の映画と比べて優れている点がありますか」などという浅はかな反論は、筋を違えているように思いますよ。

    1. 2013年6月3日 at 4:02 AM

      kuronekoさん、コメントありがとうございます。
      「ハウスキーパーが客人たちの正体に勘付いた時点で、助からないのではないかという演出は成り立つ」ということですが、客観的に考えても、それだけでは充分ではないでしょう。その後の展開を効果的に転がしていく必要があります。
      警察署に入るシーンはあくまで例ですので、あまりそこを追及していただいても困るのですが、現状のサスペンス不在の脚本よりも幾分マシなはずです。
      リアリティのことをおっしゃるのであれば、ハリウッドのコントのような描写や、空港での馬鹿らしいやり取り、ゾンビのように描かれる群集などなど、元からそういうものは、この映画にはありません。

      ヒッチコックを例に取ったのは、この映画にサスペンスが不在であることを分かり易く説明するためです。
      kuronekoさんが決め付けておられるように、いちいち他の映画の描写と比較しながら、映画を鑑賞しているわけではありません。

      私は様々な例を挙げ、『アルゴ』の稚拙さを指摘しています。
      それに対して批判をされるのであれば、逆に「この映画が優れている」という具体例を示していただきたかったということです。
      『アルゴ』を褒めている意見に、具体性と説得力のあるようなものを目にしたことがないのです。

      1. kuroneko
        2013年6月3日 at 5:10 AM

        お返事ありがとうございます。確かにこの類の映画でリアリティという言葉を出すのはナンセンスでしたね。筋違いなことを言ってしまい申し訳ありません。
        私はonodera様ほど目が肥えているわけではないのでとても浅い考えになってしまいますが、『アルゴ』が優れている点としては、実話でありながら最後まで緊張感を保ったまま終われた点ではないでしょうか。私は前述したように、当映画内の演出でも十分に緊迫感を得られたクチなので、結末が分かっていながらも最後まで楽しめました。有り体な言い方をすれば「感じ方は人それぞれ」ですので、『アルゴ』の演出にサスペンスを感じるなんて、感性が腐ってる!などとはさすがに言わないでしょう。
        とはいえ、『アルゴ』にオリジナリティーが見られたか、という点に関しては私も懐疑的です。どのシーンもこれまでみたサスペンス映画の焼き直しのようであったのも事実でしょうし、また、onodera様がおっしゃるようにフィクション的要素が強すぎる余り、実話系映画が持つ特有のシリアスさや実在感が大きく損なわれてしまっているとも思います。
        しかしフィクションとノンフィクションとのバランスをとり、いい意味で大衆が寄り付きやすくなっているという点で、『アルゴ』は一定の評価を得ているのではないでしょうか。
        もちろん、アフレックがイーストウッドを超えたとは微塵も思いませんし、アカデミー作品賞受賞も眉唾ですが、そこまで酷評されるほどの映画だとは思わなかったので、こうして長々と書かせていただきました。
        お目汚し、申し訳ないです。

        1. 2013年6月4日 at 11:54 AM

          kuronekoさん、私もブログ、コメントでは好きなことを言っておりますし、どんどん思っていただいたことを書いてくださればと思います。お答えいただきありがとうございます。
          kuronekoさんは、緊張感を保ったまま終わることができていると思われたのですね。
          たしかに、「捕まれば殺される」のでハラハラする。つまりそこに幾ばくかのサスペンスが発生しているのかもしれません。ただ、やはり私はそれだけでは単純すぎると感じますし、ベン・アフレックの未熟さを指摘せずにおれません。

          私は、ケヴィン・スミス監督のファンですので、彼の映画に常連として出演しているベン・アフレック個人にも愛着がありますし、頑張って欲しいとも思うわけです。
          『アルゴ』が良くなくても、失敗を糧に監督として成長して行って欲しいとも思います。
          ですが、さすがにこの内容にしては、過大に評価され過ぎで、このことは彼にとっても、そんなにいいことではないのではないでしょうか。
          とくに今回、アカデミー作品賞を受賞はしたことはヒステリックな流れだと感じましたので、そのカウンターの意味で、今回は強めの挑発的な文章になっています。
          しかし、書いていることはそのまま私が思っていることですし、今のところ評価に変わりはありません。

          例えば、kuronekoさんもここでイーストウッドの名前を出しておられますが、そもそも何故彼と比べられるような意見が一部で見られるのかが、私には理解できません。
          『アルゴ』に関していえば、文中のように、ヒッチコックの国外脱出サスペンス、『引き裂かれたカーテン』のようなものを例に出すことが正しいと思えます。
          それらの人達が、ベン・アフレックが人気俳優であることに共通点を見出している。スキャンダルで干されていたから、再評価されたことに感情移入する。作品の評価に、そのようなストーリーを結び付けているのだとすれば、良い向き合い方ができていないのではないかと想像します。

  7. 6993
    2014年3月21日 at 3:59 AM

    稚拙な映画以上に稚拙な批評、気分が悪くなった。

  8. 0000
    2014年9月8日 at 1:56 AM

    レンタルで見たのですが、内容に違和感と退屈を感じその原因を探していたらここにたどり着きました。
    大体スッキリしました、ありがとうございました

  9. 3
    2015年1月12日 at 4:57 PM

    最初から結末がわかっているからサスペンスとして成立しないと言うなら、そもそもこの題材を描く手法にサスペンスをチョイスした事自体を批判するべきじゃないかな。
    それを、こうしたほうがハラハラするでしょって例をあげてまだサスペンスの話してる事がナンセンスだし、そもそもアルゴはちゃんと脱出劇の緊張感描けてましたよ。
    最終的に助かる事はわかっているから拳銃突きつけられてもシラケる。だからベクトルを変えて空港内での各関門を通れるのかどうかでハラハラさせるのはちゃんと成立していたし、この題材でサスペンスするなら正解では。
    盛り上げる為に突っ込みどころを生んでしまってるしアカデミー賞とる作品かは微妙ですが、ベンアフレックの能力の高さは感じます。
    ハラハラ出来なかった方には楽しめないですね。8割の観客には受けても、受け付けない感性の人もいるでしょう。

  10. 生ハム
    2017年12月12日 at 5:38 PM

    様々な批評が飛び交ってますね。
    僕はアルゴ好き派ですが、批評は嫌い派です。根底から覆すようなコメントで申し訳ないのですが、みなさんが意見を持ってるのは良いと思います。
    しかし、客観的とか、本質的とか、ありがちなとかそう言った言葉はなんの根拠から来るのでしょう。データはあるのでしょうか。本当にその分野を熟知された方なのでしょうか。
    それに批判できるほど、映画の本質を知っているなら、自分で脚本を書いて、コンクールに応募すればいいと思います。本質を知っているなら入賞するでしょう。
    結局大体の批評は好き嫌いなんだと思います。物事は二面性があるというように、ありがちと思う演出は一方で風刺として評価され、独創的と思う演出は一方で畑違いだと言われます。結局はどれだけ好きという人が多いか。
    アルゴは歴史スペクタルでアメリカの特色が強い社会派が好きな現代のアカデミー会員が好きって人が多かったから、選ばれたそれだけだと思います。ちなみにデータあります。
    アカデミー作品賞を取るのはおかしいなら、作品ではなく、アカデミー会員の感性を批判してはいかがでしょうか。

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