k.onoderaが最近読んだ漫画を紹介する。

たまに映画から離れて、珍しく漫画の話を。

書籍や映画のソフトと比較して、漫画の単行本を買うことは少ない。とりわけ長編漫画はデータの購入で済ませている。長編作品で生き残っているのは、美麗な絵を楽しめる小島剛夕先生の作品くらい。
第一に、本棚に何十巻も漫画を保管するスペースがないという家庭の事情があって、なにより数十巻続く漫画作品に、その量に見合うだけの内容があるものは稀だという問題がある。
そこまでの長編作品というのは例外なく人気作品で、人気になると出版社は連載を引き伸ばすため、中身が薄まっていくというのは周知のとおり。そのような業界の体質というのは、濃い読書体験が得にくくなっている読者にとっても、ひとつのテーマで数年もしくは十年以上も拘束されてしまう、才気ある漫画家にとって、不幸な場合が多いと思う。もちろん、編集者が型にはめることによって伸びる漫画家もいるだろうし、その巻数がテーマにとって適量であれば問題ないわけだけれど。
という以上のような理由で、本のかたちで収集する漫画は、必然的に短編作品が多くなってしまうということになる。
今回は、昨年から購入した漫画作品から、センスあふれる短・中編が収録された5冊を紹介するので、ぜひご参考に。BD(フランスのコミック)なども買ってるのだけれど、今回は日本の作品しばりで。


○「ドミトリーともきんす」 高野 文子 著 (中央公論新社)
公式サイト: http://dormitory-tomokins.tumblr.com/

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「ドミトリーともきんす」 Amazon.co.jp

「るきさん」でハマって、「絶対安全剃刀」から遡って、大体購入している。毎度実験的な試みと、端正で立体的な絵で楽しませてくれる作家。
前作「黄色い本」は、優れた本との出会いや、読書の素晴らしさを感動的に伝えるものでしたが、その発表から10年以上経った今回の「ドミトリーともきんす」は、さらにコンセプチュアルで、作者が読んだ理科系の研究者を、幻想の「ドミトリー(相部屋貸し)」に同居させて、寮母とその子供と交流させることで、彼らの思考を紹介するといったもの。

漫画で本の紹介をするというと、個人的には、石ノ森章太郎先生が確立したような、孫子の兵法とか五輪書をビジネス書にしたものや、自己啓発的なものを思い浮かべるが、ここでは作者が純粋に面白いと思った部分がピックアップされ、その感動をダイレクトに追体験させようとしているように感じる。
ここでの、作為性と感性が両立する状態というのは、従来のストーリー漫画でもなく、またビジネス書のような事務的な目的とも遊離したもので、斬新で刺激的。
むしろこのような自由な試みが、おそらくほとんど行われてこなかった、日本の漫画の窮屈さというか、旧弊な楽しみ方しか許容できないような状況を、弾劾するように機能するんじゃないかという予感・希望みたいなものを持っていると思う。


○「九月十月」 島田 虎之介 著 (小学館)

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「九月十月」(IKKI COMIX) Amazon.co.jp

そのような旧来の「漫画の楽しみ方」を、さらに挑発的に破壊するようなインパクトを放つのが、単行本書き下ろし作品、「九月十月」。
一見記号的だが、よく見ると立体感を感じさせ、ミニマル的世界のなかをカメラが移動しているような、映像的な感覚を味わえる。

私はせっかちに漫画を速読してしまうことが多いのだけど、これは作中のセリフが最小限に抑えられていることで、普通の漫画の感覚で読んでいくと、ものの数分で一冊読めてしまう。
そこに描かれているのは、家族のドラマであり、ある人間の心の奥にある何かだったりするわけだが、わかり易い説明が意図的に省かれていることで、読者はそれを、絵や演出を丹念に何度もなぞることでしか理解することを許されない。

よく思うのだけど、たとえば極限まで描きこまれた背景があったとして、それが従来の漫画のように、読者が知るべき全てが説明されているなかでの描写だった場合、それはただ演劇における「描きこまれた豪華な書割」でしかないということになるのではないか。
本作では小津映画調に、無人の家屋や部屋、廊下などが繰り返し現れるが、この意図がわかり易く明示されないことによって、それが読者にとって何らかの意味を感じさせ、情報を読み取らせようとする。それがただの書割から、充実した「読める背景」へと変貌する。
もちろんそれは、背景だけの話ではなく、キャラクターの表情や仕草であったりとか、数少ないセリフであったりとか、そういったひとつひとつを読者が「読む」ことを、作品が要請してくる。
漫画家にとって、そのように全ての絵、全ての演出を、読者が絶えず新鮮な目で「見て」「読んで」くれることこそ、理想的なのではないだろうか。その意味では、漫画がそのまま我々が体験する「世界」になっている。とにかく、大変なチャレンジをやっているんじゃないかと思う。

普通の漫画読みの感覚からすると、このような読み方は現代の読者に受け入れられるのか?という危惧もよぎったりするわけで、ここまでアグレッシブな挑戦をさせてくれる編集者が存在するというのも驚かざるを得ない。


○「鼻紙写楽」 一ノ関 圭 著 (小学館)

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「鼻紙写楽」 (ビッグコミックススペシャル) Amazon.co.jp

単行本や絵本、可能な限り当時の掲載雑誌なども収集し、むかしファンサイトを作って情報交換までやってたくらい、一ノ関圭は、私の憧れの漫画(劇画)家。
↓あんまり好きなので、以下のような模写もよくやりました。
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絵画の世界がそのままペンタッチをともなった劇画となって再構成されており、さらにそのひとコマひとコマの構図やデッサンのレベルが尋常でないという、おそらく絵を描く人は例外なく震撼する作品を、寡作ながら丁寧に描き上げてきている。

今回は、基本的に「役者絵」をモチーフとして、作者の興味ある、江戸歌舞伎世界・絵師の世界を、陰惨な話を交えながら、ときにミーハーに楽しく描いていて、ニコニコしてしまう。
90年代の短編「クレソン」などからつづいて、集中線、アップ、断ち切り、コマ割りなど現代的に、絵もポップ寄りに調整され、表面的に「普通の漫画」に接近しているように見える。だが、そのことでより差異が強調され、おそろしいものを見ている感じは、以前にも増して強い。
絵の力に圧倒され、いちいちウットリとため息をついてしまうため、ストーリーが頭に入る隙がなくなってしまうという弊害もある。
定価1800円+税という価格は、画集としての価値を含めると、むしろリーズナブル過ぎるくらい。


○「地獄…おちそめし野郎ども…」 西村 ツチカ 作

pixiv(http://www.pixiv.net/)で作者の作品にたまたま出会ったのだけど、よくあるようなニューウェーブ的な感性に優れているだけではなくて、爆発的なユーモア、絵のうまさなど、作家的な能力が揃ったジャックポッドのような才能に痺れてしまった。この作者も、高野文子先生同様、作品によって画風をカメレオンのように変化させられる能力者。

単行本「なかよし団の冒険」「かわいそうな真弓さん」は購入して、そちらももちろん素晴らしいのだけれど、個人的には、pixivで発表した諸作品の方がより圧倒的に感じるというのが正直なところ。「AKIRA」に出てくるミヤコの死ぬシーンを妄想しながら、バイトとして白いたい焼きを焼くシーンは、商業誌には載ることはないんだろうなと思いながらも、神がかっている。検索してみてください。

商業的なところを一切意識させず、本当に好き勝手にやり続けてほしいと、日々思っている。

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「かわいそうな真弓さん」(リュウコミックス) Amazon.co.jp


○「祈りと署名」 森泉 岳土 著 (エンターブレイン)

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「祈りと署名」ためし読み

「祈りと署名」 (ビームコミックス) Amazon.co.jp

ペンタッチを感じさせない、じんわりとした墨の質感が、オシャレで静謐な画面をつくっていて、まるで欧州の作品のよう。
製作方法を作者本人が語っているが、水と薄墨使用して、爪楊枝で描いていくのだと聞いて、「えっ、こんな素敵な絵、爪楊枝で描いてるの!?」と、衝撃を受けてしまう。
本書短編の中では、「トロイエ」という、登場人物がシルエットで表現された作品に圧倒された。まず、キャラクターがシルエットというだけで普通じゃない。こういう試みは、つげ義春作品で一遍見たことがあるくらい。
オペラ「さまよえるオランダ人」を下敷きにした難解な作品だが、我欲が人間の本質であることを、呪いや災厄として描きながら、同時にささやかな人間の善性に希望をかけるというところがあって、とくに原発事故後の世界とリンクしているように感じる。
作者は次々に新作を出していて、名作文学の漫画化に手を出すなど精力的。ぜひ追っかけて読まなくてはと考えている次第。


ここで紹介した漫画作品、どれも新しく刺激的で、水準を超え絵のうまい作家ばかりなので、とくに漫画をあまり読まない人、新しい感性に触れてみたい人、そして、映画が好きな人に是非おすすめしたい。
日本の政治や風習や文化にがっかりするときもあるけれど、こういう作家が日本で活躍できていること、出版社にとっても厳しい時代に、かろうじてこのような作品が許容されている事実というのは、ある種の希望だなと思っている、と言ったら大げさかな。

ではまた、映画の話に戻ります。





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