タブーを冒す、よろこびに満ちた冒険『ワイルド わたしの中の獣』

今回から、劇場公開前の作品を紹介するシリーズを始めます。
あくまで公開前作品ということで、公開後のレビュー記事に比べて、内容は短めです。

今回はドイツの女優、監督のニコレッテ・クレビッツが脚本と監督を務めたドイツ映画、『ワイルド わたしの中の獣』です。

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職場と自宅を往復する無味乾燥な生活を送る女性が、帰宅途中の森で狼と出会い惹かれていくという内容。
彼女にとっての「狼」は、恋人のようでもあり、人生のパートナーのようでもあり、彼女自身のようでもあり、また絶対的な「外部」の象徴のようでもある。

ストーリーはあるものの、散文的で自由な手法で撮られており、戸惑う観客も少なくないかもしれない。展開の盛り上がりに合わせて「狼」の意味性は限定的に収斂されていくが、そこに行き着くまでの「感覚的」演出を興味深く追うためには、観客自身の能動性を必要とする。そういう類の作品は体力を奪いもするが、想像力や思考力へ刺激を与えるはずだ。このように、お膳立てられた接待でなく、自分から描いているものを読み取るのが「アートフィルム」であると考えている。この作品では、そこに楽しみを見出したい。

狼を部屋に入れて飼うという象徴的な行為から、一見して精神分析的であり、ほとんどの観客が直感する通り(また邦題が示す通り)、「狼」は彼女自身なのであろう。しかし、それを通して本作が最も雄弁に語るのは、「女性に対する社会の抑圧」である。それが顕れはじめたところで、一転して本作はアツさを宿していく。

「狼」を通し、あらゆるかつての女性性のタブーを冒していくという、よろこびに満ちた冒険が描かれる。同じように「女性の解放」を観念的に描いた『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』のラストシーンとも重なる。

主演女優のリリト・シュタンゲンベルクと本物の狼を共演させたという、一歩間違えたら大変なことになるだろう撮影がすごい。両者の衝撃的な「ラブシーン」には、フォアグラなどエサを使って工夫したという話。

野獣性とは真逆のようにも思われる、ジェイムス・ブレイクやテラ・ノヴァなどエレクトロサウンドが作品の雰囲気をかたち作っているのも印象的だ。

2016年12月24日から順次公開。(オフィシャルサイト


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