80年代の熱気がこもる『レディ・ガイ』。撃ち抜く敵は、男か女か?

『ワイルド・スピード』シリーズや『アバター』などで、前時代的な言い方をすれば「男勝り」「鉄火肌」な、かっこいい姉御キャラの役を演じて観客を魅了してきたミシェル・ロドリゲス。本作『レディ・ガイ』においては、「男勝り」ではなく、ついに男そのものを演じてしまう。

それだけではない。そのミシェル・ロドリゲス演じる男・フランクは、シガニー・ウィーバーが演じるマッドなドクター、ジェーンの手により、全身に整形手術、そして性転換手術を施され、身体だけが完全に女になってしまうのだ。フランクは女の身体のままドクター・ジェーンを探し出すため、「レディ・ガイ 」として立ちふさがる敵を撃ち倒していく。

本作は、『48時間』、『ストリート・オブ・ファイヤー』など、80年代を中心にヒット作の多い映画監督ウォルター・ヒルが、70年代にグラフィックノベル化した企画である。そして、すでに70代となったウォルター・ヒル自身が、自ら本作の監督を務める。

『ベイビー・ドライバー』、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』に代表されるように、いま70年代、80年代の表現を、新しい世代のクリエイターたちが自身のノスタルジーを込めて再現しようとしている。そういう状況で、ウォルター・ヒルという、まさに当時メインストリームにいた監督のリアルタイムの作品を観るというのは、意味があるだろう。

2013年公開の、シルヴェスター・スタローンとサン・カンが主演したアクション映画『バレット』も、80年代の雰囲気がムンムンのバディムービーとして納得の出来だった。このいわゆる「モノホン感」というエクストラクトは、実際に80年代の事物を集めて画面に埋めるということで得られるわけではないのだ。本作はインディーズ映画ということで、画面のリッチさは多分に失われているが、そのエクストラクトを味わうという意味では、より分かりやすいかもしれない。

男の身体を見せるシーンでは、ロドリゲス自身が希望したということだが、CGを使用せず特殊メイクだけで表現する。以前、「80年代ホラーの金字塔『ハウリング』は今こそ観るべき!特殊メイクの歴史を変えた、その革新性」でも書いたように、特殊メイクの技術が脚光を浴び、時代を気付いたのも、やはり80年代のことだった。

昨今のヒーロー映画などを中心に、同性同士のソーシャルを積極的に描く作品が増えていっているように感じる。それは、多様化、複雑化する趣向の観客に合わせた一種のサービスともなっているが、本作では女体化した男が女とのラブシーンを繰り広げるという表現がありながらも、その特殊性にたいしてフォーカスしていかず、あくまで人間の心情を自然に描いている。これは、ある意味で現在の作品への批評的な意味となって立ち上がっているように感じる。作り手側の不自然な迎合ではなく、観客の方がそこにロマンティシズムを感じとれるような堅実な表現が、より望ましいサービスのかたちなのではないだろうか。

レディ・ガイが復讐する相手は「女」である。鑑賞した当初、敵となるのは女に無理解な「男」の方がより良かったのではないかと、私には感じられた。だが深く考えていくと、本作でのシガニー・ウィーバーの独善性というのは、歴史的に女性が傷つけられてきた、従来の「男性性」そのものなのではないか。偏見を生み、悲劇を引き起こすのは、男でもなく女でもなく、心の中にある傲慢さである。この真の悪を描くことで、本作は紛れもなく「いま」を扱った作品となっている。


公式サイト:http://gaga.ne.jp/lady-guy/


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