『それでも恋するバルセロナ』には住むべからず

観終わった後、この「それでも恋するバルセロナ」という邦題が、キャッチーだけれどもイマイチに感じてしまった理由は、「ヴィッキー、クリスティーナ、バルセロナ」という原題が、完璧に作品そのものを表していたからだ。
スカーレット・ヨハンソンとレベッカ・ホールの、アメリカからスペインに旅行に来た小娘ふたりが、ムンムンの中年男ハビエル・バルデムと、ムンムンの超美女ペネロペ・クルスに翻弄されまくるという内容なのだが、このハビエル・バルデムとペネロペ・クルスは結局何だったのかというと、妖しき芳香をはなつ「バルセロナ」という街そのものを具現化した存在だったのだろうと思う。
だから、「ヤンキー小娘たちとバルセロナ」、というような意味の原題は的確だった。

バルセロナの風にあてられて、奔放な芸術家気質の女という設定のスカーレット・ヨハンソンも、アメリカに婚約者がいる、比較的身持ちの固そうな設定のレベッカ・ホールも、コロリと、ピカソ気取りの芸術家の、恋の奴隷になってしまう。
その恋の相手として、ハビエル・バルデムが説得力を持つのは、頭蓋骨の形が少し変ながらも、非常に魅力的な、グッッド・ルッキング・おじさんにちゃんと見えるからだ。
実際にスペインの俳優だから、もちろんラテンの濃ゆさは満点で、『ノーカントリー』ではそれに加えおかしな髪型が、訳の分からないキャラクターを助長していたが、今回の彼は本当にダンディで、同じく中年プレイボーイ役の多いジョージ・クルーニーのように端整ではないものの、ずっとゴージャスな印象だ。

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それ以上に、その中年男の元女房役であるペネロペ・クルスが、あまりにも圧倒的な大女優オーラを発散しており、彼女のまぶしさで、主演のはずのスカーレット・ヨハンソンの姿が全然見えなくなってしまうような錯覚まで起こしそうになった。
「この小娘には、全ての魅力においてダブルスコアで勝利してやるわよ!」という気迫すら感じた。
二人が並んだシーンでは、スカーレット・ヨハンソンがちんちくりんで鈍重に見えて、ちょっとかわいそうだった。
まあでも、男の側が気後れしてしまうほどの美女なので、恋人としてはヨハンソンの方を選んでしまいたい男が多そうではあるけれども。
ウディ・アレンもおそらく、そういった狙いであったとは思うものの、見た目や演技を含めて、両者にここまでの格の違いがあったということは、ちょっと予想外だったんじゃないかと思う。
ちなみに、ペネロペ・クルスは本作品においてアカデミー助演女優賞を獲得している。

とはいえ、このスペイン系の二人の凄まじい魅力に対抗する術を持たない若手女優たちという状況は、この映画のストーリーとも相まっていて、非常に成功している。

『夫たち、妻たち』のような、ウディ・アレンがときどき撮る不倫恋愛群像劇なのだが、今回はとくに脚本が秀逸で、全てのキャラクターに感情移入が可能なほど、ひとりひとりが丁寧に描写されており、互いの関係性や、影響を与え合っていくところなどが非常に複雑ながらも整理されていて、改めて彼の明晰さに驚かされる。
また、スカーレット・ヨハンソンとハビエル・バルデムとペネロペ・クルスが同居し、互いに恋人同士となってしまうという荒唐無稽な関係も、各キャラクターがしっかりと説得力を持って描けているため、「まあ、そういうこともあるんだろうな…」と納得してしまう。
しかし実際のストーリー上では、ただアメリカ娘たちがこのラテン・カップルのいいおもちゃにされただけで、アメリカの空港に帰ってきた小娘たちの呆然とした表情が映し出されるラストに笑えるのだ。

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ニューヨークの映画作家であったウディ・アレンにとっては、やはりあくまで欧州、とくにスペインというものは外部的な存在でしかないようで、では、その上でどのような面白い作品が撮れるか、という答えがこの脚本なのだと思う。
これは、リドリー・スコットがフランスで『プロヴァンスの贈りもの』という、傲慢で馬鹿みたいな作品を撮って馬脚を現したのと比べて、ウディ・アレンの知性と慎ましさを感じるところではある。

映像でも、例えばベルナルド・ベルトルッチの『魅せられて』のように、イタリアでありながら、紋切り型でないロケーションと美術が魅力的だったような作品と比べてしまうと、観光客が主人公の映画だから仕方ないとはいえ、観光的なロケーションが多くなってしまっていて、やはり「外部である」という事実が顕在化してしまっているのは、ウディ・アレンとしては、その面においてもちょっと弱みなんだろうとは思う。
それは、アメリカでの公開を念頭に据えているという枷でもあって、しょうがないといえばしょうがないんだろうけれども、不満といえば不満だ。
これは、同じくスカーレット・ヨハンソン主演の『ロスト・イン・トランスレーション』と同様の問題ではあるのだが、それでも、『それでも恋するバルセロナ』では、古い遊園地の高台から望む森やホテルなど、感動するくらいの美しい映像もあって、興奮させられた。

それにしても、ハビエル・バルデムとペネロペ・クルスの芸術家カップルは、そんなに絵も売れていなそうなのに、どのように暮らしているかはよく分からないものの、波乱万丈すぎる情熱的な毎日を送っていて、その面白すぎる人生に憧憬の念を抱いてしまう観客は多いと思う。
でも実際その生活に巻き込まれてしまうと、本当に疲れきってしまうだろうことは、ラストシーンのアメリカ女たちの表情が証明している。
それはウディ・アレン自身のバルセロナ観であるに違いない、「やっぱりバルセロナは、そこで生活するよりも、観光地として楽しんだ方がいいのだろうな」と思わされる、『それでも恋するバルセロナ』であった。

 


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